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鐘の丸


築城当初、城下町に時間を知らせる時報鐘をここに置いていたため、このような名称となっている。しかし鐘の音が城下北隅に達しないので鐘を牙城楼門外(現存地)に移した。
鐘郭即ち木原槲に御守殿と呼ぶ葵章(葵章は徳川氏の紋章)の建築物があった。(陸軍省所轄中、明治の初めに大津の営所に移築した。)これは元和6年東福門院后西上の時初め東山道を順路とされるとのことで御泊城の為に新築したものであったが、東海道に変更になったために御泊城はなく、以後そのまま保存し平常は封閉していたもので毎年夏の夏の土用18カ月間は此処に直孝が使用された大阪陣の際の武器一式(血痕のある蚊帳もある)及びその他の宝器の虫干はここで行われていたのである。
井伊氏代々の甲冑の虫干は天守楼で行われた。御守殿虫干の守衛は藩士8人に命じて昼夜2人ずつ詰切りであった。(天守閣には平常藩士がいて虫干の守衛は別に要しなかった。)
御守殿前に井水があり、これは築城の時掘ったもので最も深い平常は封閉して使用を許さず、虫干の時に限りこれを使用して飲料とした。清浄にしてはなはだ良い水であったと伝えられている。


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