1988.11.1
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我宿蒔絵硯箱 |
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龍潭寺の方丈襖絵 |
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重要文化財
我宿蒔絵硯箱
(わがやどまきえすずりばこ)
硯と人間のつきあいは古く、中国で少なくとも紀元前数百年のころまでに生まれ、日本にも文字の伝来にさほど遅れることなくつたわったと思われます。やがて硯は、それを納める箱とともに日本で独特の発展をします。とくに硯箱は、蒔絵という漆芸技法の発達に支えられて、優品を世に数多く送り出すことになりました。この中には、和歌や漢詩の歌心、あるいは物語の一場面やそれに因む(ちなむ)事象を意匠化した作品が顕著です。ここで紹介する硯箱も「我宿」の銘があるように、その好例といえます。
この硯箱は、縦22.3センチ、横23.2センチとわずかに横長で、四隅が木瓜形(もっこうがた)にくぼんだ被蓋(かぶせぶた)造りの作品。蓋の甲盛(こうもり)は高く、胴張りも強い。蓋、身の口縁には錫(すず)の覆輪(ふくりん)が廻っています。蓋表には、流水と岩をともなった州浜(すはま)が描かれ、籬(まがき)の内から大きく枝を広げた2本の菊が伸びています。菊花には2匹の蝶が舞い、州浜では鴛鴦(おしどり)が遊んでいます。よくみると岩のあたりに「我」と「乃」の2つの絵文字が隠されています。こうした絵文字を葦手(あしで)文字といい、平安時代から流行したものです。文字を画中にとり入れた日本特有の装飾美を示すものといえるでしょう。
ところでこの硯箱に描かれた葦手文字の典拠を特定することはなかなかむずかしく、ただその図様や文字から、例えば「我宿の菊の垣根におく霜のきえかへりてそ恋しかりける」(『古今和歌集』巻12、紀友則)や、「我が宿のきくのしら露けふことにいく世つもりて淵となるらん」(『元輔集』147)など「我宿の」で始まる歌心を表したものと考えられます。
硯蓋をあけると、身の中央に四分一(しぶいち)製の水滴と金銅の覆輪を懸(か)けた硯が台上に姿をみせます。水滴も硯も木瓜形。水滴は江戸時代の後補のようです。硯台の左右には、上面に筆架(ひっか)を付し、下面を脚で支えた懸子(かけご)が納められています。蓋裏、硯台、懸子および懸子下には菊折枝が適宜(てきぎ)配されて箱内を飾っています。
室町時代前期の作と考えられており、寛永9年(1632)に死去した徳川秀忠(ひでただ)の遺品として、彦根藩2代藩主井伊直孝(なおたか)が徳川家光(いえみつ)より拝領した品です。中世硯箱の優品として、昭和62年6月に重要文化財に指定されました。
(谷口)
龍潭寺の寺社調査から
龍潭寺(りょうたんじ)の
方丈襖絵(ほうじょうふすまえ)
彦根市内には、現在約310の寺社があります。博物館では、寺社調査を計画的に進めていきたいと考え、その第1回として8月下旬、古沢町、弘徳山龍潭寺の方丈襖絵(彦根市指定文化財)の調査を行いました。
この龍潭寺は、臨済宗(りんざいしゅう)妙心寺派(みょうしんじは)の禅寺。石田三成の居城があった佐和山の麓に位置しています。もとは天平5年(733)、行基によって静岡県引佐郡(いなさぐん)井伊谷(いいのや)に開基されたと伝えられる古刹。この地から出た井伊氏の菩提寺であり、のち、徳川四天王の1人、井伊直政が関ヵ原合戦での武功により佐和山に入場したのを機に、現在の地に創建されました。開山は井伊谷龍潭寺5世の昊天(こうてん)禅師。諸堂の完成が元和3年(1617)と伝えられています。その後、享保、寛政年間の改修や新造を経て、山門、方丈、観音堂、また枯山水と池泉廻遊式庭園を配置した寺の景観が形成されました。
それらの中心をなす方丈は、仏間、室中を中央にして左右に4室ずつを配する10室構成をとっています。襖絵は、1室に1画題、計10画題が104面にわたって描かれており、画題は次のようです。四季耕作図、牡丹唐獅子図、西湖図、松竹梅鶴図、龍虎図、秋草兎図、群仙図、麒麟鳳凰図、竹林七賢図、群馬群禽図。山水、花鳥、人物、禽獣(きんじゅう)など実に多彩ですが、江戸時代初期の狩野探幽(かのうたんゆう)以降に定着した、狩野派の様式による画題、絵画表現が顕著です。
寺ではこれらの襖絵を森川許六(もりかわきょろく)の筆と伝えています。許六(1656〜1715)は、彦根藩士。蕉門十哲の1人に数えられる俳人として著名なほか、絵にも長じていました。俳諧の師、芭蕉に絵を伝授したとも伝えられています。江戸時代の画史『画乗要略(がじょうようりゃく)』には、許六は画法を幕府の御用絵師、狩野安信(やすのぶ)に学んだと記されています。現存する作品からみても、許六が狩野派の正系を身につけ、作画数も多い画家であったことが認められます。
龍潭寺の方丈襖絵は、江戸狩野の様式を守りながらも、独自に消化したあとがみえます。細部には許六画に特有の筆致も窺えることから、寺伝にいう許六筆と見てよいと考えらます。この方丈襖絵は今後画人としての許六の業績を考えていくうえで大切な作品であるということができます。
さて、博物館では、1月22日から小企画展「森川許六の襖絵」を開催します。彦根に伝わった規模の大きな方丈襖絵として注目されるこれらの作品をぜひご覧下さい。
(竹村)
秋草の表情
期間 1988年10月5日(水)〜11月27日(日)秋の野にひっそりと咲く草花。日本人は、萩(はぎ)・尾花(おばな)など、秋の七草に代表されるなにげない草花に美を見いだして、文学や美術にいきいきと表現してきました。
そして菊。豪華な菊の花も、器物を飾るデザインとして喜ばれました。
調度品や能装束にあらわされた秋草の美。秋の風情がさりげなくあらわされています。
■講演会
1988年11月19日(土) 午後2時から
「秋草の美学」
講師 奈良大学教授
井上 正氏
場所 博物館講堂
表御殿(おもてごてん)
よみがえった彦根藩庁
期間 1988年11月29日(火)〜12月24日(土)彦根城博物館は、彦根城郭の主要な建物の一つであった表御殿を復元したものです。復元にあたっては、井伊家伝来の絵図・古文書や発掘調査の成果などがさまざまな角度から検討されました。
今回のテーマ展では、数多くの検討資料のなかから代表的なものを一堂に会して展示します。
展示資料を見ながら、ありし日の表御殿に思いをはせ、そこでの藩主の生活、藩士の職務、表御殿の歴史的な役割などについて考えていただければ幸いです。
吉祥(きっしょう)のデザイン
期間 1989年1月1日(日)〜1月20日(金)めでたごとや招福を願って用いられる文様を「吉祥文様」といいます。吉祥とは「めでたいきざし」の意味。わたしたちの生活の中で既設や人生の節目、また喜びをあらわす場面で用いられてきました。
代表格は、鶴や松竹梅ですが、その歴史は古く、中国の神仙思想や仏教の影響をうけバラエティに富んだ文様がみられます。
このテーマ展では、吉祥文様をあしらった美術工芸品約30点を紹介します。