1989.11.1
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金襴手芦雁図共蓋水指 |
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湖東焼
金襴手芦雁図共蓋水指
(きんらんであしかりずともぶたみずさし)
湖東焼は、江戸時代後期に彦根城下で焼かれた焼物です。城下の商人絹屋半兵衛(きぬやはんべえ)たちにより創始され、井伊直亮(なおあき)・直弼(なおすけ)・直憲(なおのり)の3藩主の代に彦根藩の御用窯として栄えました。この間、白く堅く焼き締まった磁器を中心に、染付(そめつけ)・金襴手(きんらんで)・赤絵・青磁などの細やかで美しい焼物を世に送り出しました。
この水指は、純白に近い磁製の素地(きじ)に、金泥による繊細な毛描き技法によって、芦と落雁を大胆に描写した作品です。大きな空間を残しながらも均衡のとれた構図は、磁器への絵付という域をこえた絵画的手法を感じさせます。別に、下の写真のような柳と翡翠(かわせみ)を描いた建水があり、かつては同種の杓立(しゃくたて)と蓋置(ふたおき)が揃って皆具をなしていました。鳴鳳(めいほう)の作。鳴鳳は客分待遇の絵付師です。お抱えではありませんが、藩窯期の湖東焼を代表する絵付師です。鳴鳳の作品には、このような構図のものとは別に細密な文様構成をもつ一群の作品もあります。しかし、いずれの作品であっても、上品で端正な作風は彼に固有のものと言って良いでしょう。鳴鳳はもと京都の寺侍でしたが、妻子と鸞英という弟を伴い彦根に来て、数年ののち伊勢に去ったといいます。直弼時代初め頃のこと。井伊家に伝わる湖東焼の多くが鳴鳳の作品でしめられています。在藩期間が短いことを考慮すると、彼が彦根で制作した多くが井伊家に納められていることになります。井伊家とりわけ直弼と鳴鳳のただならぬ関係に興味がもたれます。
さて、鳴鳳ほどの作品でなくとも、湖東焼の作品はおしなべて上物であることが1つの特色です。そして、それは絹屋窯以来のこと。当時、伊万里(いまり)焼と瀬戸焼が量産体制を取って市場を制していました。一介の商人に過ぎない絹屋半兵衛が、その市場に食い込む困難は計り知れないものがあったことでしょう。彼は高級品の生産を指向することにより、量産体制の結果、日用品が主流となっている伊万里や瀬戸に介入することを試みました。高級品生産をいち早く成功させるには、技術を自己開発するより職人を招いて窯を運営させた方がよい。伊万里などから職人が招聘(しょうへい)されました。彼の狙いは効を奏し、やがて染付(そめつけ)や赤絵など相当の良品を産することができるようになりました。しかし、半兵衛にはもう1つの大きな課題がありました。それは販路の開拓です。苦心を重ねて地場の茶碗屋や大坂の瀬戸物問屋などに卸していたようですが、累積する赤字はいかんともし難く、ついにその経営を彦根藩に託します。
藩窯期、湖東焼は洗練された高級品生産にますます拍車がかけられました。そして、藩主直弼のもとで湖東焼は黄金期を迎えます。直弼は、不遇な部屋住みとして「埋木舎(うもれぎのや)」で生活を送る頃から、楽焼(らくやき)を介し焼物に強い興味をいだいていました。藩主となるや直ちに、窯の拡張そして職人の獲得と養成に力を注ぎます。このことを背景に、高級品生産という湖東焼当初来の目的は実を結び、湖東焼の名もしだいに世の知るところとなりました。半兵衛が苦労した販路も、京都と大坂の藩の売捌所(うりさばきじょ)で御用商人を通して販売され、ある程度の成果を得ていたようです。もっとも、頻繁な設備投資のために、財政はあいかわらず苦しかったようですが。そして直弼の突然の死。パトロンを失い、藩が苦境に立たされるに及んで、湖東焼の火は急激に勢いを無くすことになります。
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(谷口)
龍潭寺の美術
−遠江・井伊谷から近江・彦根へ−
期間 1989年1月27日(土)〜2月26日(月)彦根城の東方、佐和山の麓に、森川許六の方丈襖絵や庭園で名高い臨済宗妙心寺派の名刹、龍潭寺(りょうたんじ)があります。
本館では、彦根に関係する寺社の調査を継続して行い、その成果を企画展で紹介しています。龍潭寺の調査は今年で2年めになりますが、多くの貴重な文化遺産の伝えられていることが明らかになりました。
龍潭寺は、彦根城の建設により彦根の景観が整うなかで、元和3年(1617)佐和山の麓に建てられました。江戸時代に代々彦根藩主であった井伊家発祥の地、静岡県引佐(いなさ)町井伊谷(いいのや)にある同名の龍潭寺から第5世昊天崇建(こうてんすうけん)を招き開山としたのです。
井伊谷・龍潭寺は、天平5年(733)行基によって開創されたと伝え、室町時代の永正4年(1507)井伊家20世の直平が黙宗瑞淵(もくしゅうずいえん)を招き、臨済宗に改めたものです。
今回は、井伊谷・彦根、ふたつの龍潭寺に伝わる名宝のかずかずを展示します。
■関連講座
1989年2月17日(土) 午後2時から
「井伊谷龍潭寺から彦根龍潭寺へ」
講師 学芸課長 難波田 徹
宿場町−鳥居本・高宮−
期間 1989年12月1日(金)〜12月24日(日)“宿場町”という名を聞いたことがありますか。江戸時代、参勤交代(さんきんこうたい)する大名行列の一行の宿泊地として、また物資を運ぶ人や馬の足を休める場所として幕府が定めた町のことです。彦根には、中山道に鳥居本と高宮の2つの宿場があり、大名や公家の泊まる本陣(ほんじん)・脇本陣(わきほんじん)をはじめ、一般の商人や旅人が泊まる旅籠(はたご)・木賃宿(きちんやど)などのほか、物資を運ぶ人夫や馬を調達する問屋場(といやば)、土地の名産品を売る商店などが並び、行きかう人々で賑(にぎ)わっていました。
この展覧会では、江戸時代の宿場町を描いた絵図や商家の道具、産物など約30点を展示します。当時の宿場の雰囲気を味わってください。
漆の工芸 1989年1月1日(月)〜1月22日(月)
漆と日本人のかかわりは、遠く縄文時代にまでさかのぼります。その後、大陸からさまざまな新技術が導入されて飛躍的に発達しますが、それもやがては消化されて、日本独特の細やかで美しい作品が数多く生みだされることになりました。このテーマ展では、江戸時代の漆工芸に焦点をあて、技術を縦糸に、文様を横糸に織りなされた漆芸品の魅力を紹介します。
■関連講座
1989年1月13日(土) 午後2時から
「漆の工芸」
講師 学芸員 谷口 徹