彦根城博物館だより

Hikone Castle Museum News 8

1990.2.1


button 『桜田事変絵巻』
button 企画展井伊直弼
button 企画展龍潭寺の美術
button 直弼自作 狂言・謡の会

新発見
『桜田事変絵巻』

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 日本の歴史上の人物で、井伊直弼(いいなおすけ)(1815〜1860)ほど善玉、悪玉と評価の分かれる人はまれです。王政復古を実現した維新政府は、日米修好通商条約の「違勅(いちょく)」調印をめぐり、直弼に痛烈な批難を浴びせました。しかし、明治も中頃になると、日本も諸外国との交易・交流の門戸を開く契機となった条約調印が高く評価され、開国の元勲(げんくん)と仰がれた時期もありました。その後、日清・日露戦争から2度の世界大戦へと連なる国粋(こくすい)主義・軍国主義の広がりとともに、また再び直弼は国賊の汚名をきせられることとなりました

 これらの評価は、その時々の政治状況や国際関係に強く影響されており、日本が諸外国との関係を密にした時期には、直弼は善玉として扱われ、対外的孤立状況に陥るにしたがい、直弼は国家 冒涜(ぼうとく) の罪をきせられるという関係にあるようです。はたして、現代の日本人は直弼という人物をどう正当に評価すべきでしょうか。

 ところで、直弼を語る時思い起こされるのは、安政7年(1860)3月3日、桜田門外での直弼暗殺事件です。安政5年、大老就任後の直弼の政策、特に安政の大獄に見られた思想弾圧や水戸への勅諚(ちょくじょう)返納の幕命に憤慨した水戸激派浪士が、この日、江戸城での雛の節句の行事のため登城中の直弼を襲撃したのです。春3月には珍しく、寒風雪舞う朝のことでした。表紙写真は、この事件の 顛末(てんまつ) を描いた絵巻物の1シーン。このたび彦根市が博物館資料として購入した第1号資料です。近年まで個人コレクションとして秘蔵され、一般の目にふれることはありませんでした。

 従来、桜田門外の変を描いた絵画は、暗殺に加わった水戸浪士蓮田市五郎が事件後細川邸に身柄を預けられていた時に描いた「桜田変図」や、いくつかの錦絵が知られるのみでした。事件の発端となる水戸浪士の品川宿での集会から事件当日の水戸・井伊双方の動きを時間の推移・場面の変化にしたがい、これほど克明に描いた絵画資料はまだ見出されていません。

 作者は、幕末から明治にかけて活躍した狩野派の絵師狩野芳崖(かのうほうがい)と伝えられています。芳崖筆かどうかを語るのは、今後の研究をまつとしても、相当な力量をもつ狩野派の絵師によることに疑いはありません。しかも、事件の流れを長大な絵巻物2巻(上巻1220cm、下巻820cm)に仕上げる構成力から察すると、かなり絵巻制作を研究しつくした絵師とみてよいでしょう。

(母利)

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企画展
井伊直弼
−その人と生涯−
 期間 1990年3月3日(土)〜5月6日(日)

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 今年は、幕末の大老井伊直弼がなくなってから130年目にあたります。戦後、井伊家史料が公開されて数十年を経て、大老文書の研究により政治の表舞台にだけではなく、直弼の文化人としての側面や生いたちが紹介され、新しい直弼像が語られていく一方で、まだ、時代劇の悪徳政治家の材料に仕立てられることも多く見られます。はたして現代のわたしたちは、激動の幕末を生き波瀾万丈の人生を送った直弼をどうとらえるべきなのでしょうか。

 本館では、没後130年を期して、直弼の人間像と全生涯を紹介する企画展を開催します。禅の修養と古典の教養をもとにした、茶・居合・能・狂言・和歌・国学など文化的な人間像や、彦根藩主から大老へという政治家としての人間像を紹介するとともに、直弼のブレーンや水戸徳川斉昭(なりあき)・福井松平春嶽(しゅんがく)など直弼に反対する立場にあった大名たちの資料など、新発見の『桜田事変絵巻』を含め総計250点を展示します。

 また、期間中には多彩な行事を催しますので、是非この機会にご観覧ください。

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企画展
龍潭寺の美術
−遠州・井伊谷から近江・彦根へ−
 期間 1990年1月27日(土)〜2月26日(月)

 彦根藩主井伊家にゆかりの井伊谷と彦根、ふたつの龍潭寺に伝わる寺宝を紹介しています。

■関連講座

1990年2月17日(土) 午後2時から
「井伊谷・龍潭寺から彦根・龍潭寺へ」
  講師 学芸課長 難波田 徹

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企画展「井伊直弼」関連行事
直弼自作 狂言・謡の会
 1990年4月28日(土) 午後1時から

 少年期から小鼓を習っていた直弼は、能や狂言の世界にも関心が高く、狂言と謡(うたい)に作品を残しています。今回の企画展にあわせて、次の3番を上演します。

■狂言「鬼ヶ宿」 茂山千五郎
■狂言「狸の腹鼓」 茂山真吾
■謡「筑摩江(つくまえ)」 高林白牛口二(こうじ)

 狂言は、いずれも天保13年(1842)に彦根藩御抱の狂言師となった茂山家に伝承されるもの。

 「狸の腹鼓」は、喜多家に伝わる作品を直弼が改作し、昭和になって第2世の茂山千作が型や装束を考案したといいます。播磨(はりま)の国小笹の里に住む喜惣太の伯母に化けて狸狩りを思い止まらせようとします.しかし、犬の吠え声で化けの皮がはがれ、腹鼓を打たされるというあらすじ。腹鼓にうかれ出した喜惣太を、狸が弓矢で射る真似をするあたりにいかにも狂言らしいユーモアがただよい、作品に工夫のみられるところです。

 「鬼ヶ宿」は、能の「黒塚」を直弼がアレンジしたもので、時々訪ねてくる男を迷惑に思っている女が、鬼の面をつけて驚かすというもの。この狂言には、直弼自筆の草稿本が伝わっています。

 最後の謡「筑摩江」は、米原町にある筑摩神社へ鍋冠祭(なべかむりまつり)の日に参詣しつつ、その霊験(れいげん)をたたえるという内容の新作。やはり自筆の草稿本があります。筑摩神社は江戸時代を通じて井伊家の崇敬が厚く、少女が張子(はりこ)の鍋を冠って行列する鍋冠祭は三奇祭の1つといわれ、現在も続けられています。

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