1990.8.1
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緊迫感が漂う井伊直弼像 |
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緊迫感が漂う井伊直弼像
井伊直弼(1815-1860)は、”あふみの海 磯うつ波のいく度か 御世にこころを くだきぬるかな”という、辞世の句を残して、この世を去った。日本の未来を見据えた彼の心情がここには披瀝(ひれき)されているが、この直弼に皆さんはどのようなイメージをもっておられるであろうか。私たちは大なり小なり直弼に政治家のイメージをもっているように思う。しかし、それは本当の直弼像といえるであろうか。
直弼が政治の舞台で活躍したのは14年間であった。埋木舎(うもれぎのや)の時代といわれた32歳までの彼の生活は、菩提寺であった清涼寺(せいりょうじ)で禅修行に励むなか、「文武」両道にわたる教養を身につけていった。この時の彼の心境は、”さつ事も うきも聞かじや 埋木の うもれて深き 思いこそあれ”の歌に凝縮されていよう。こうした心境にあった直弼に思わぬことがおこった。兄の直元が急逝したのである。直元は13代の藩主になることになっていたので、急拠、直弼に白羽の矢がたち藩主に就くことになった。36歳の時であった。その3年後にペリーが来航し、鎖国日本を大きくゆさぶったのである。江戸幕府がその歴史の中でも一番緊張した時を迎えたわけであるが、この外圧に加えて、内政では将軍継嗣をめぐっての問題もおこっており、幕政をより複雑にしていたともいえよう。
こうしたなか、直弼が安政5年(1858)に大老職に就任した。埋木舎の時代には想像もしなかった形で、幕政に、国政にタッチし、結果的には波瀾万丈の人生を送ることになった。
さて、この絵である。
この絵は、安政7年(1860)の正月に直弼の求めに応じて彦根藩御抱え絵師だった狩野永岳が描いたといわれているが、同図様のものがいくつか伝えられている。これもその1つなのであるが、直弼はさきの歌を賛とした。そして、そのうちの1つを清涼寺に奉納した。この安政7年といってすぐに思い出されるのはその3月3日、節句の日のことであろう。その日、江戸登城中の直弼一行は水戸藩士らに襲撃されたのである。世にいわれる「桜田門外の変」である。直弼自身はこうした動きを恐らくキャッチしており、安政4年に清涼寺に参禅した時に、時局にあたっての決意を披瀝するとともに、諡号(しごう)の自選の許しを得、さらにこの絵の奉納を行ったのであろう。
絵にみる直弼の正装姿に威厳をただした風貌には、一種の緊張感が漂い、余人を近づけさせないきびしさがそこにはある。その直弼は、茶道を友とした大茶人でもあった。彼の茶道は精神性を重んじたもので、好んで「和敬清寂」とか「独座観念」という言葉を使っている。ここに人間直弼の世界があったのである。
今年は、桜田門外の変からちょうど130年目にあたっている。いい機会でもある。私たちはいま一度、この直弼を見つめ直してみようではあるまいか。
(難波田)
天災と文化財
期間 1990年7月19日(木)〜9月16日(日)明治時代以降、旧大名家の多くが東京で生活していました。井伊家もその例にもれません。そして、大正12年9月1日の関東大震災。8棟の土蔵に納められていた伝来の美術工芸品や古文書の多くが、地震とその後に発生した火災に見舞われます。このテーマ展では、その罹災品(りさいひん)や、持ち出して難をのがれた作品をあわせて展示し、天災と文化財について考えていただきます。
弓矢
−その道具と文化−
期間 1990年9月22日(土)〜10月24日(水)弓は人間が発明した最も高度な手動による武器といわれます。西洋ではアーチェリーとして発達しますが、洋の東西を問わず鉄砲が発明されるまでは、槍・剣をしのぐ武器として戦場で大いに活用されました。日本では、武士道のことを「弓馬(きゅうば)の道」と呼び、弓術・馬術を磨くことが武士たるゆえんとされ、鉄砲伝来以降も武士の重要な修養の一つとされたのです。泰平の世となった江戸時代にも、各大名家には弓を射るあずちを備えた射場が屋敷内に設けられ、稽古がおこなわれていました。
このテーマ展では、彦根藩井伊家に伝わる弓具や弓術書約40点を紹介します。伝存例の少ない大名家の弓資料のなかから、武家文化の一端を垣間見ることができることと思います。
彦根屏風と遊楽の世界
期間 1990年10月27日(土)〜11月26日(月)
旧彦根藩主井伊家には、徳川幕府の譜代大名筆頭格としての家格にふさわしい数多くの大名道具が伝えられていました。ところが不幸なことに、大正12年の関東大震災でそのほとんどを失ってしまったのです。しかし、なお3万5千点におよぶ道具や古文書が現存しています。
なかでも井伊家では、大名物宮王肩衝茶入と彦根屏風をことのほか重宝としてきました。関東大震災にあたってもこの2つは真っ先に運び出されて難を免れたのです。
彦根屏風は、ここで改めて言うまでもなく、寛永期風俗画の傑作の1つとして高い評価を受けています。いつ頃井伊家の所蔵になったかは明らかではありませんが、おそらく幕末になってからのことであろうと言われています。今回の企画展では、この彦根屏風をはじめ、大名家などに伝えられた風俗画を中心に、江戸時代初期の華やかな遊楽の世界を楽しんでいただこうとするものです。
また、このこととあわせ、いかに彦根屏風が人々の関心を誘うものであったかという観点から、同じ時期に制作された類似の作品や、粉本・模本をあわせて展観いたします。この機会にぜひご鑑賞ください。
■講演会
1990年11月10日(土) 午後2時から
「天災と文化財」
講師 学芸課長 難波田 徹
場所 本館講堂