1991.2.1
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松帆に千鳥図鐔 |
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和歌の意匠化
松帆に千鳥図鐔
大森英秀作
来ぬ人を まつ帆のうらの 夕なぎに
焼くや藻塩の 身も焦がれつつ百人一首にも取り上げられた藤原定家の名歌。鎌倉時代の初め建保4年(1216)閏(うるう)6月9日、順徳天皇の内裏で催された百番歌合で詠まれたもので、春・夏・秋・冬・恋の5題のうち恋を主題とした和歌です。
松帆の浦は、奈良時代から知られた淡路島の地名。現在の津名(つな)郡淡路町岩屋の北部あたりに比定されています。対岸の明石の浦から晴れ渡った日には波間を行き交う船のかなたにくっきりと島影を見ることが出来ます。「万葉集」巻6には、神亀(じんき)3年(726)9月、聖武天皇が播磨国印南(いんなみ)郡に行幸したとき、随行した歌人笠金村(かさのかなむら)が詠んだ長歌「名寸隅(なすきみ)の 船瀬に見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝凪(なぎ)に玉藻刈りつつ 夕凪(なぎ)に 藻塩(もしお)焼きつつ 海おとめ(後略)」が記されており、明石の浦からの景色として歌い上げられています。定家の残した名歌も、これを本歌としていたのです。
のちに、松帆の浦は人を待つ心情をあらわすため「待つ」の歌枕として盛んに用いられるようになり、江戸時代には「まつほのうら」と3回唱(とな)えると待人が来るというまじないにも使われるようになりました。また、さまざまな美術工芸品や衣装デザインとして、松と帆の組み合わせが取り入れられています。
表紙の鐔(つば)もその一つ。霞たなびく海辺に、松の枝影からのぞく帆、空に舞う千鳥を象徴的に配置し、裏面には海原に赤々と沈み行く夕陽を描いています。黒い烏金(うきん)と呼ばれた赤銅地(しゃくどうど)に、高彫色絵(たかぼりいろえ)の彫金技法で主題を浮き上がらせ、地景には、金の粗粉を一つずつ丁寧に地金 ( ぢがね)に象嵌(ぞうがん)する梨地(なしぢ)象嵌が用いられています。梨地象嵌は大森英秀(てるひで)が創出した技法で、金銀を多用する彫金では、主題となる図柄とのバランスが難しく、珍しいものですが、梨地の密度をかえることにより地金の色を浮き立たせ、雲や霞に見たてた表現は、えもいわれぬ華やかさを醸(かも)しだしています。
大森英秀は江戸の彫金師で、家彫りと呼ばれた幕府御抱え職人に対し、町彫りと呼ばれた職人の一派、大森派の2代目。江戸時代中期に、横谷宗a(よこやそうみん)の門人となった英昌(てるまさ)にはじまる大森派は、2代英秀のとき斬新な彫金技法により確乎たる地位を築きました。そして、英秀の晩年には、彦根藩11代藩主井伊直中の御用を務め、3代目英満(てるみつ)も12代直亮(なおあき)の贔屓(ひいき)を得て、数々の藩主注文製作を手がけたのです。
この鐔は、直亮が拵(こしらえ)を新調する際、先代直中から受け継いだ拵から、同図の縁金具とともに転用したもの。斬新な意匠、華麗な江戸後期の美意識を好んだ直亮好みの拵として仕立てられたのです。
(母利)
彦根・清凉寺の美術
期間 1991年1月26日(土)〜2月25日(月)彦根藩主井伊家の菩提寺として、また曹洞禅の修行道場として高い格式を誇った清凉寺の寺宝を紹介します。
雛と雛道具
期間 1991年3月1日(金)〜4月15日(月)
井伊家には、13代藩主井伊直弼(なおすけ)の二女弥千代(やちよ)、同じく四女待子、そして14代藩主井伊直憲(なおのり)の正室もりの宮宜子(もりのみやたかこ)の雛や雛道具が伝えられています。その中で圧巻は、何と言っても弥千代のものです。
弥千代の雛と雛道具は、彼女が安政5年(1858)4月21日、高松藩世子(せいし)松平頼聰(よりとし)のもとへ輿入れしたとき持参したものです。雛は次郎左衛門雛の顔をもつ立雛(たちびな)。引目鉤鼻(ひきめかぎはな)の丸顔に、松に重なる藤の文様をあしらった紙製の衣装を身にまとっています。そして、質量ともに圧倒する形で存在するのが雛道具です。雛道具は実際の婚礼調度の雛形で、婚礼調度と同形式の道具組みが揃(そろ)えられ、婚礼調度とともに持参するのが習わしでした。婚礼調度の筆頭を飾る貝桶(かいおけ)に始まり、黒棚(くろだな)・厨子棚(ずしだな)・書棚(しょだな)の三棚、箪笥(たんす)、長持(ながもち)、化粧道具、膳椀(ぜんわん)類、楽器、茶道具、香道具など、85件と大揃いです。
これらの雛道具は、いずれも黒漆塗りの肌に松竹梅と井伊家の家紋である橘(たちばな)を金の平蒔絵(ひらまきえ)で散らしています。松は根引きの姫小松、竹は笹竹、梅は若い枝に梅の花が脹(ふく)らんでおり咲きそめの花をみるような初々しさが漂います。その初々しい松竹梅が、雛道具の大きさや形にあわせて、一つひとつ違った形に描かれています。同じものが一つもないので、85件それぞれが実に生き生きしています。しかも、つくりは附属品に至るまでたいへん精巧です。貝桶には貝合わせの貝がほんとうに入っており、貝裏には絵まで描かれています。硯箱(すずりばこ)には、硯・水滴・筆・墨のセットが、煙草盆の煙草入れには刻み煙草が、櫛台(くしだい)には指で触れるのもとがめられるほど小さな三ツ櫛・毛抜・鋏(はさみ)が揃っています。すべてがこの調子で、単に雛形だからと省略されることがありません。近代合理主義に慣らされた我々は、ただ驚嘆するばかりです。
ところで、こうした雛形のもとである実際の婚礼調度はどうでしょう。残念ながらそちらは伝存しているものがわずかしかなく、駕籠(かご)・挾箱(はさみばこ)・茶弁当(ちゃべんとう)そして衣桁(いこう)のみ。したがって、両者を個々に比較検討することは不可能ですが、現存するものを対照する限り、寸法についてはおよそ3分の1から5分の1程度の縮小率。必ずしも同比率で縮小していません。やはり、本来が小さい作品は縮小率も小さく、逆に大きい作品は縮小率も大きくする配慮がなされているように思われます。こうした配慮は、描かれた文様にもあらわれています。文様を実物と同じように機械的に縮小して描けば、重く詰まった感じになってしまいます。そのあたりを、省けるものを省き、強調すべきものは強調して、じつに巧妙に実物と遜色(そんしょく)なく仕上げているのは、さすがに職人芸と言わざるを得ません。
今回は、弥千代の雛と雛道具を中心に、弥千代の婚礼調度も比較展示します。実際の調度とその雛形、それぞれの妙をご鑑賞ください。
井伊直弼と埋木舎
期間 1991年4月18日(木)〜5月27日(月)
埋木舎之記
井伊直弼筆17歳から32歳までの15年間、直弼が青年期を過ごした埋木舎(うもれぎのや)。ここでの禅の精神をもととした茶、武芸、和歌、学問の修養は、その後の直弼の思想形成に大きな影響を与えました。本展では、埋木舎に関する資料と、埋木舎時代の直弼の未公開のものを含む茶の湯関係資料を中心に展示します。ご期待下さい。
■講演会
1990年4月27日(土)午後2時から
「埋木舎の保存修理を終えて」
講師 (財)建築研究協会 西田 義雄氏