彦根城博物館だより

Hikone Castle Museum News 13

1991.5.1


button 呂宋壷
button テーマ展井伊直弼と埋木舎
button テーマ展茶碗・天目台と蓋置

大名の格式を示す筆頭道具
呂宋壷(るそんつぼ)
(褐釉四耳壷(かつゆうしじこ))

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 茶壷は葉茶を入れる容器です。昨今では茶壷を愛でる人も少なくなりましたが、信長や秀吉の頃には大書院の床を飾る筆頭道具として高い位置を占めていました。江戸時代に入っても、大名の格式を示す道具として尊ばれ、贈答のため大名間を渡り歩くことも多かったようです。また、幕府の定めた「御茶壷道中の制度」では駕籠(かご)に乗せられ、あたかも大名行列なみの仰々しい出で立ちで江戸と宇治を往復して葉茶を求めました。諸大名もその制度に習い、それぞれの格に応じた行列を仕立てました。

 このような茶壷に対する高い評価は、いきおいその需要を高めることになります。我が国で用いられ始めた茶壷は、初めは海外より渡来の壷でした。その将来は、古くは12世紀頃までさかのぼり、やがて、いわゆる「呂宋壷」の輸入が始まります。「「呂宋壷」の名で総称される壷は、中国南部で雑器として大量に焼かれたもので、当初は中に商品を入れて、ルソン島など東南アジア各地に売られました。中の商品がなくなった後も物の貯蔵に便利なため、彼の地でさまざまに利用されてきたのを、再び商品として日本にもたらされるに至ったものです。極めて特殊な入手経路をもつ壷ということができますが、それ以上に興味深いのは、本来雑器として生産されて壷に、新しく葉茶容器の用途を与え、しかもそれを珍重して愛(め)でた当時の日本人の美意識でしょう。彼の地では容器としての機能以上に顧みられることのなかった壷に、侘(わび)たる美しさをみいだし、高い鑑賞価値を付加したところに、当時の日本人の美に対する考え方が潜んでいるように思われます。

 写真の壷は、典型的な「呂宋壷」です。小ぶりの口頚部に、幾分肩の張った丸みのある胴部が付いています。胴部の下半は底部に向かい緩やかにすぼまって、どっしりと安定しています。肩には横耳が四つあります。素地(きじ)は粘りのある細かい粘土で、茶褐色を呈しており、その上に褐色の渋い色調の釉が掛かっています。釉の一部は露胎(ろたい)となった腰部へも流れ出しており、そのなだれが景色を添えています。底部には、「永井直勝(ながいなおかつ)」「毛利秀元(もうりひでもと)」などの花押(かおう)が七箇所に認められるほか、「藝阿」と読める朱書なども残っており、作品の伝来の古さを物語っています。永井直勝(1563〜1625)は徳川初期の武臣で、のちに大名になった人物。彼の長男は、数奇大名として知られる永井尚政(なおまさ)(1587〜1668)です。毛利秀元(1579〜1646)は、のちに山口藩主となった人物。やはり数奇大名として良く知られた人です。

 この茶壷を入れた箱内には、紅地鳳凰菊枝文金襴の裂地(きれじ)でつくった口覆(くちおおい)、それを結ぶ朱の口緒(くちお)、茶壷を包む亀甲網の網袋など、茶壷飾りのための装束が納められています。春に新茶を貯蔵密封し、開炉の季節ともなれば茶壷飾りをして封が切られ、口切(くちきり)の茶事(ちゃじ)が催されたことでしょう。

(谷口)

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テーマ展
井伊直弼(いいなおすけ)と埋木舎(うもれぎのや)
 期間 1991年4月18日(木)〜5月27日(月)

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 井伊直弼は、文化11年(1815)10月29日、彦根城の北に位置する槻御殿(けやきごてん)で生まれました。父は11代藩主井伊直中(なおなか)、母は直中の側室富の方の間に生まれ、直中の第14男にあたります。直弼が生まれたときは、すでに2男直亮(なおあき)が12代藩主につき、直中は槻御殿で隠居生活を送っていました。直弼は直中が高齢になってからの子であるため、広々とした槻御殿で両親の愛をあつめて育ったのです。

 しかし、直弼が17歳になったとき、父直中が没したため、槻御殿をでて、部屋住(へやずみ)の身とならねばなりませんでした。当時、彦根城下にはいくつかの庶子の部屋住屋敷があり、直弼は弟直恭(なおやす)とともに「北の御屋敷」とも呼ばれた尾末屋敷に入ることになりました。「埋木舎」はこの屋敷を、直弼みずから名付けたものです。

 直弼の青春時代を過ごした埋木舎での生活はけっして朽ち果てた「埋木」ではありません。禅・茶の湯・和歌・居相(いあい)などの修養にみられるバイタリティは、のちの直弼の精神の基礎となるものです。このテーマ展では、埋木舎に関する資料と、埋木舎時代の直弼の未公開のものを含む茶の湯関係資料を中心に展示していきます。当時の直弼の遺品をとおして、彼のいきざまを垣間見てはいかがですか。

■関連講演会

1991年4月27日(土)午後2時〜
「埋木舎の保存修理を終えて」
  講師 (財)建築研究協会 西田 義雄氏

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テーマ展
−井伊家伝来の茶道具−
茶碗・天目台と蓋置
 期間 1991年7月21日(日)〜9月2日(月)

 江戸時代、大名は武人であり政治家であるとともに、一流の文化人でもありました。武門をもって知られた井伊家でも、歴代の藩主によって茶の湯がたしなまれ、譜代大名筆頭の格式にふさわしい茶道具がしだいに整えられました。

 このテーマ展では、井伊家伝来の茶道具のなかから、器種ごとに分類してまとめて展示します。その第1回は「茶壺と茶入」です。茶壺は上記で紹介したように、葉茶を入れる容器。茶入は濃茶を入れる小さな容器です。茶壺の大壺に対し小壺と称したりもします。この展示では9口の茶壺と20口の茶入を展示予定です。茶壺は「呂宋壺」などの輸入品が5口、残り4口は国内の瀬戸で焼かれたものです。茶入は唐物(からもの)6口、和物14口です。

 第2回は「茶碗・天目台と蓋置」です。茶碗は唐物2口、高麗物(こうらいもの)9口、和物4口の合計15口。唐物はいずれも天目茶碗ですが、この天目茶碗をのせる台が天目台です。唐物5基、和物14基からなり、いずれも漆芸技法が駆使されています。蓋置は釜の蓋をのせる小さな具。陶磁器や唐銅(からかね)・鉄などの金属を素材とし、さまざまな形象のものがあります。

 この機会に、ぜひ一度ご覧下さい。

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