1991.11.1
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叢梨地花菱唐草蒔絵眉作箱 |
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大名の婚礼調度
叢梨地花菱唐草蒔絵眉作箱
(むらなしじはなびしからくさまきえまゆつくりばこ)
婚礼調度を満載し、紅白の幕で飾ったトラックに遭遇されたことはありませんか。荷台には箪笥(たんす)・水屋(みずや)・冷蔵庫・洗濯機などにはじまる各種の調度が盛沢山に積載されています。それは親心を反映してか、いささか過剰であるようにも見受けられます。しかし、この程度で驚いてはいられません。江戸時代の、しかも大名の婚礼調度たるや質量ともにその比ではありませんでした。
江戸時代の武士は、上は大名から下は武家奉公にいたるまでおのおの厳しい格式によって統制されていました。婚礼もまた、その例にもれません。婚礼は、結ばれる両人をこえて両家の大切な行事であり、家の格に則してとり行われました。したがって、婚礼調度も家格相応に前もって準備されました。大名の場合、婚礼調度として質量ともに最高のものが制作されたのはいうまでもありません。器種は、化粧具・文房具・香道具・遊戯具・飲食具それに運搬具といったものまで含まれました。いずれもその表面には、統一された意匠のもと、さまざまな蒔絵手法を用いて豪華絢爛(けんらん)に加飾され、要所には家紋が散らされました。
それでは、婚礼調度の原形というものは、いったいいつ頃に求められるのでしょう。婚礼調度を構成する格器種おのおのに留意すると、その祖形の多くを平安時代に求めることができるようです。平安時代は、それまでの中国文化の受容と模倣から抜け出して、貴族たちにより雅やか(みやびやか)な王朝文化が花開いた時代です。そこで生まれた宮廷や公家の調度に、祖形の多くを見ることができるようです。その後、政治の担い手は変わっても、こうした調度は王朝文化へのあこがれとともに存続したのでしょう。やがて、室町時代の末に伊勢貞陸によって著された「嫁入記」には、輿入れの行列として「一ばん 御貝桶」にはじまる江戸時代の婚礼調度の行列とほとんど変わらない様子が記されるまでになります。つまり、婚礼調度を構成する器種の多くが王朝文化の中で生まれ、室町時代の終わり頃までには婚礼調度の中に組み込まれてその原形ができあがり、江戸時代に入って婚礼調度の諸形式として定まったということができるようです。それは江戸時代を通じて、大名を頂点に家格相応に制作され続けることになります。
井伊家は、譜代筆頭の格式をもつ大名です。婚礼に際しては、その格式にふさわしい婚礼調度が整えられたことでしょう。ただ婚礼調度は、あくまで実用品でしたから、現存するのはほとんど新しい代のものに限られています。13代藩主井伊直弼(いいなおすけ)の正室であった昌子(まさこ)の婚礼調度、同じく側室であった柳村院の婚礼調度、そして直弼の二女弥千代の婚礼調度、同じく四女待子の婚礼調度、14代藩主井伊直憲(いいなおのり)の正室であったもりのみや宜子(たかこ)の婚礼調度などです。
表紙の写真は、もりのみや宜子の婚礼調度の一つです。もりのみや宜子は有栖川宮幟仁(ありすがわのみやたかひと)親王の二女。この作品は化粧道具を入れる箱で、眉を引く道具などが入るための眉作箱の名があります。箱の甲に畳紙(たとう)形の浮文様が施され、全体として叢梨地の肌に花菱唐草文様を描き菊と三ツ横菊の家紋が要所に散っています。箱の内には各種の眉作筆のほか、三ツ櫛(解櫛(ときぐし)・梳櫛(すきぐし)・撫櫛(なでぐし))、壺櫛払(つぼくしはらい)、髪撫(かみなで)、丸鏡、鏡箱、白粉合子(おしろいごうす)、白粉解(おしろいどき)、杓、毛抜などが納められています。
(谷口)
−江戸時代からのメッセージ−
城下町絵図 期間 1991年11月29日(金)〜12月24日(火)城下町彦根は、慶長8年(1603)佐和山城からの城郭移転にともない、計画的にすすめられた町です。当初は、彦根城を中心として整備された軍事的な役割が強い町でしたが、大坂の陣以後、彦根藩30万石の武士・町人・農民たちの政治・経済をささえる町として急速に発展をとげました。
三重の堀に区切られた町は、武士・町人・寺院の配置により機能が分けられ、その住む場所も定められていました。また、松原には彦根藩の湖上物資輸送にたずさわった人々の町もおかれていました。
このテーマ展では、城下町の歴史をたどりながら、彦根の城下町が建設される以前のようすを記した絵図、江戸時代後期の城下町を詳細に描いた「御城下惣絵図」(彦根市指定文化財)をはじめとする城下町の各時代の絵図、城下各町の詳細図、城下の水道絵図、町人の生活をうかがう資料、明治以降の城下町の絵図など、約50点を展示します。
近年の都市開発。本町の再生など日々刻々と移り行く彦根。あたらしい彦根の町づくりに向けて、ぜひこの機会に、城下町の歴史をふりかえっていただければ幸いです。
■関連講座
1991年12月7日(土) 午後2時から
「彦根城下町の変遷」
吉祥(きっしょう)のデザイン
期間 1992年1月1日(水)〜1月20日(月)
吉祥のデザイン−すなわち「めでたいしるし」は、「晴れ」の生活を彩る意匠(いしょう)です。松竹梅をはじめとする、めでたづくしのデザインは、古来からさまざまに私たちの生活の身辺を飾ってきました。
新年を寿(ことほ)ぐテーマ展として、今年も「吉祥のデザイン」をおおくりいたします。
日本の多彩な意匠には、大きく2つに分けると、中国に起源をもつ唐様(からよう)と、四季折々の変化にとんだ日本の自然が生み出した和様とがあります。
門松(かどまつ)飾りにも取り入れられている松竹梅は、いかにも伝統的な和様の意匠のようにも思われますが、もともとは中国で「歳寒(さいかん)の三友(さんゆう)」と呼ばれていた組合せです。これらは寒い時期でも緑を保ち、あるいは寒風のなかに花をつけ芳香をはなつことから、中国では志の高さや貞潔さを象徴するものとみられていました。それが取り入れられ日本風に消化されて、日本の吉祥のデザインを代表する取り合わせとして用いられてきたのです。
今回の展示では、この松竹梅や鶴亀をデザインした能装束、調度などをはじめとして、能のなかでも新春を祝い五穀豊穣を祈る儀式的な祝言「翁(おきな)」に用いる白色尉(はくしきじょう)の面や、めでたい文様を配した翁狩衣(かりぎぬ)を展示します。
初春の華やかな気分をご満喫ください。
祈りの造形
−近江・彦根の仏教美術− 期間 1991年10月26日(土)〜11月25日(月)彦根の地は、古く白鳳時代から仏教文化がはぐくまれ、各時代を通じてその精華を花開かせてきました。その心は今でも村々の寺院や神社に息づき、仏像や仏画・仏教工芸をはじめとする豊かな仏教美術の遺品を伝えています。まさに彦根は「仏の坐(いま)す地」であるといっても過言ではありません。この企画展は、彦根の仏教美術の全貌をはじめて明らかにするものです。