1993.2.1
|
|
古天命責紐釜 |
|
|
|
|
|
|
|
|
荒れた肌がかもしだすわびの心
古天命責紐釜
(こてんみょうせめひもがま)
古来、茶会を催すことを「釜をかける」と言い、年の初めの茶会を「初釜」、毎月の茶会を「月釜」と称すなど、釜は茶の湯の象徴であり代名詞でもありました。このことは、茶の湯の大成者千利休(せんのりきゅう)が「釜一つあれば茶の湯はなるものを 数の道具もつは愚な」と詠じ、幕末の大名茶人井伊直弼(いいなおすけ)が著した『茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)』に「釜は一室の主人公に比し、道具の数に入らずと古来いひ伝え、此釜一口にて一会の位も定まるほどの事なれば、能々穿鑿(よくよくせんさく)をとくべし」と認識していたことにもうかがえます。まさに、茶の湯における釜は、道具を超えた道具であったと言えるでしょう。
ところで、この釜が日本に登場するのは古墳時代にまでさかのぼります。ただし、それは土師器(はじき)という素焼きの土製品でした。のち奈良時代になると、土製品に加えて鉄製・銅製のものも存在するようになりますが、あくまでも厨房(ちゅうぼう)用の湯沸かしなどに用いた日常雑器でした。これらに対して、茶の湯のための釜、つまり茶釜が制作されるようになるのは鎌倉時代以降のことです。その双璧をなしたのが芦屋釜(あしやがま)と天命釜。両者とも室町時代に至って最盛期を迎えます。桃山時代を迎えると、これらにかわって京都三条釜座において京釜の制作がしだいに盛んとなり、やがてその分派が江戸に生まれ、盛岡・金沢その他の地方にも釜作がおこって、江戸時代の盛んな茶釜の需要にこたえることになります。
井伊家に伝来する釜は総数24口を数え、4口が芦屋や天命など桃山時代以前にさかのぼるほかは、いずれも江戸時代の作品で、京都や江戸の釜師になるものが多く、茶人の好みにしたがって制作されたものも散見されます。上図の作品は、室町時代の作と考えられる天命釜。桃山時代以前の作であるため、古の字を冠して古天命と呼びます。天命釜は下野国佐野庄天命(栃木県佐野市)一帯で制作された釜の総称です。天明あるいは天猫などの文字をあてることもあります。ちなみに、この地は江戸時代に彦根藩領ともなりました。天命では、芦屋より古くから鋳物技術が発達していたようですが、日常雑器を作っていた期間が長く、茶釜の制作は芦屋より逆に100年ほど遅く始まったと伝えられます。その作風は、芦屋釜がおしなべて洗練され上品であるのに対し、天命釜は雑器の名残があって手厚く男性的です。このことが「わび茶」の意に適(かな)い、その興隆とともに大いにもてはやされることになりました。
この作品は、口の左右に鐶付(かんつき)のある責紐釜です。責紐釜は古天命に始まり、貴人に献茶をするとき、両脇の鐶付に紐を通して蓋を押さえ、口に封印をするのに便利な器形とされます。胴部は素文で、天命釜に特有の荒々しい肌の素朴さを生かして、わびた趣を表現しています。箱の内には、釜師高橋因幡(たかはしいなば)の「右古天猫正作無紛者也」とする安政3年(1856)の極書(きわめがき)1通が添えられています。
(谷口)
桜の美
−井伊家伝来品から−
期間 1993年3月11日(木)〜4月12日(月)
春を盛りと咲き誇る桜の花は、絢爛豪華(けんらんごうか)に山野をおおいつくし、また、ときには緑の中の鮮烈な点景として、さまざまに日本の風景を彩ってきました。
「桜」といえば、花見です。豊臣秀吉が催した大規模で豪華な花見も有名ですが、江戸時代には庶民もそれぞれに花見に興じました。現在の桜の名所での喧騒は、みなさんご存じのとおりです。桜は私たちに季節の到来を印象づけるもっとも身近な花のひとつといえるでしょう。
人々に親しまれた桜の花は、なにげない身辺の草花に美を感じ、それを造形化する和様(わよう)の美の絶好の主題のひとつです。古今の、ありとあらゆる分野の美術工芸品に、桜の美を見出すことができます。そこに繰り広げられる華やかな美の世界は、私たちの心をとらえてはなしません。
このテーマ展では、井伊家伝来の絵画や能装束、茶道具、調度などに桜の美をさぐります。
彦根城の桜と競うように、展示室にも桜の花が咲き誇ります。初春の華やかな気分をご満喫下さい。
江戸美術と中国画題
−人物−
期間 1993年5月13日(木)〜6月14日(月)
「竹林の七賢(しちけん)」という語を耳にしたことがあるでしょうか。七賢とは阮籍(げんせき)・けい康(けいこう)・山濤(さんとう)・王戎(おうじゅ)・向秀(しょうしゅう)・阮咸(げんかん)・劉伶(りゅうれい)。中国の晋の時代、俗塵をさけて竹林に集まった七人の隠者のことで、彼らはそこで大いに酒を酌み交わし、清談にふけったといいます。日本においてこの画題はさかんにとりあげられました。このほかにも中国の伝説や歴史上の人物をとりあげた作品が数多く存在しています。
こういった画題は中国の作品を写すことで生まれたと考えられますが、後には金碧障屏画として描くようになったりと、かなり日本風の要素も加わってきます。しかし、様式はかわっても画題としての興味は連綿と続いてきたのです。しかも、それは絵画に限らずひろく工芸などの分野にまで及んでいて、写真の花生はそういった作品のひとつとなります。
このテーマ展では、時代を江戸時代に限って、中国人物を画題とした作品を展示し、当時の日本人の中国に対する関心の一端を窺うことができれば、と考えています。
雛と雛道具
1993年3月8日(月)まで
貝桶
(弥千代の雛道具)恒例となりました雛(ひな)と雛道具(ひなどうぐ)を展示しています。雛と雛道具というタイトルになっていますが、展示の主体をなすのは彦根藩13代藩主井伊直弼(いいなおすけ)の次女弥千代(やちよ)が、高松藩の松平頼聰(よりとし)のもとへ輿入れしたとき持参した85件の雛道具です。雛道具は実際の婚礼調度のミニチュア。ミニチュアながら一つ一つがとても精巧に作られていることに驚かされますが、全体としてみると当時の大名の婚礼調度がいかに多量で多岐にわたっていたかを彷彿とさせます。