1994.8.1
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国友鉄砲鍛冶 |
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国友鉄砲鍛冶
橘紋金象嵌火縄銃
天文12年(1543)種子島(たねがしま)に1隻の船が漂着し、そこに乗っていたポルトガル人により、わが国にはじめて鉄砲がもたらされました。
鉄砲が伝来した当時、わが国は戦国時代のまっ只中(ただなか)。全国各地で戦国大名が合戦を繰り返していました。その合戦で用いられていた主な武器は刀や薙刀(なぎなた)そして鑓(やり)など。弓矢よりも早い弾丸、刀より強い破壊力をもつ鉄砲の伝来は、戦国大名にとって魅力的な新しい武器として歓迎され、急速に全国に広がっていきました。
なかでも最初に鉄砲をうまく利用したのが織田信長でした。天正3年(1575)甲州武田勝頼と戦った長篠合戦では、信長の足軽(あしがる)鉄砲隊が当時無敵といわれた武田騎馬(きば)軍団を撃破し、武田軍を壊滅に追い込んでいます。以後合戦は歩兵戦中心となり、主となる武器は鉄砲へと移行していきます。つまりこの合戦はわが国の合戦史上、大きな転換点となる戦いであり、その原因となったのが鉄砲だったのです。
こうして、鉄砲の需要は急激に拡大することとなり、その需要をまかなうため、全国各地に鉄砲鍛冶(かじ)が生まれました。中でも自由貿易都市の堺(さかい)、近江の国友(くにとも)(現滋賀県長浜市)が2大鉄砲生産地でした。とくに国友鉄砲鍛冶は江戸時代初期より徳川幕府の御用鉄砲鍛冶を務めた由緒ある鉄砲鍛冶でした。
上の写真の鉄砲は「橘紋金象嵌火縄銃(たちばなもんきんぞうがんひなわじゅう)」です。火縄銃は字のごとく火縄で火薬に点火し、弾丸を発射する銃です。性能は銃の口径や銃身の長さによっても違いますが、当時標準的であった6匁(もんめ)玉火縄銃で最大500メートルほどの射程距離があったといいます。しかし命中精度は100メートルが限度で、それ以上の距離は望めなかったともいいます。また、発射には弾を1発ずつ込(こ)めるため装填(そうてん)時間もかなりかかり、現在の銃とは比較にならないほど性能は低いものでした。しかし幕府の鎖国政策のため、銃の先進国である外国の新しい技術が入らなかったこともあり、日本の銃の性能は江戸時代を通じて大きく変わることはなかったのです。
銃身には「国友藤兵衛充俊(くにともとうべいみつとし)」の刻銘が刻まれています。制作者である充俊は、国友鉄砲鍛冶の頂点に立つ年寄(としより)の次席で、年寄脇であった藤兵衛10代目にあたる鉄砲鍛冶師です。
充俊をはじめ国友鉄砲鍛冶の作る火縄銃は製造が丁寧(ていねい)で性能が良く、弾の命中率も高かったことから、各藩から制作依頼も多くありました。そのなかでも同じ近江にあった彦根藩は国友村とも近く、藩主井伊家にはこの火縄銃以外にも国友鉄砲鍛冶ゆかりの作品が伝来しています。
充俊の兄国友一貫斎(いっかんさい)が制作した和製望遠鏡もその1つ。彼はこの種の望遠鏡を利用して太陽の黒点観測や月の観察をおこなったことでよく知られています。その彼も12代藩主直亮(なおあき)当時、彦根藩御用鉄砲鍛冶を務め、200目玉大筒を制作しています。
国友村と彦根藩。そこには鉄砲鍛冶を介してさまざまな交流のあったことが想像されます。
(山岸)
お多賀さまへは月まいり
期間 1994年10月22日(土)〜11月23日(水)滋賀県犬上(いぬかみ)郡多賀(たが)町多賀に鎮座する多賀大社は、伊邪那岐(いざなぎ)大神と伊邪那美(いざなみ)大神をまつる古社です。「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度、熊野へ三度、お多賀様へは月参り」と歌われたように、広く人々の崇敬を受けてきました。
その草創は古く、すでに『古事記』には「伊邪那岐大神は淡海(おうみ)の多賀に坐(いま)すなり」と記され、『延喜式』には「犬上郡多何神社二座」とみえています。天平神護2年(766)には、神封6戸を寄せられました。
古来より犬上郡一帯の人々の信仰をあつめ、室町時代には坊人(ぼうにん)の活躍とともに、延命長寿の神としてその信仰は全国に広がりました。豊臣秀吉が生母大政所の病気にあたって延命を祈り、報賽のために1万石を寄進したことはその好例です。
多賀大社には、調馬(ちょうば)・厩馬(きゅうば)図屏風(重要文化財)や三十六歌仙絵屏風(県指定文化財)などの絵画を筆頭に、70面に及ぶ能・狂言面、秀吉や徳川家光から奉納された太刀(県指定文化財)、そして中世以来の多数の古文書(県指定文化財)に至る数多くの社宝が蔵されています。
この企画展は、多賀大社の全面的なご協力により、幅広い分野に及ぶこれらの名宝を一堂に会して、その全貌を紹介します。
扇
−工芸にみる扇面意匠(せんめんいしょう)
期間 1994年8月19日(金)〜9月19日(月)たたむと小さく、広げてあおぐと涼(すず)しい扇。この扇が最近女性の間で流行しているようです。扇をつかう姿が気品高く、また見た目にも涼しく感じられるところからもてはやされているのでしょう。
このテーマ展では井伊家に伝来した美術工芸品の中から扇をデザインに取り入れた作品を集めて展示します。
残暑の厳しい季節、このテーマ展をご覧になってしばし涼(りょう)の世界に遊ばれてみてはいかがでしょうか。
人権シリーズ 3 山の民
−木地屋(きじや)根源地伝説と近江−
期間 1994年9月22日(木)〜10月18日(火)近江には古代から轆轤(ろくろ)技術が見られ、また永源寺には木地屋根源地伝説が伝えられ、彦根藩との関わりの中で全国の木地屋たちを統率する動きも見せています。しかし、木地屋の多くは近代以降その生産形態の歴史ゆえに、十分な職業の保証もない厳しい状況を迎えることになります。本展は、人権シリーズ3として、轆轤技術による椀・盆などの木地生産に従事した山の民「木地屋」の歴史を紹介し、現代の職業権・生活権の問題を考えてみます。
■関連講座
1994年9月24日(土) 午後2時から
「木地屋の特許状−その効用と成立の背景−」
講師 成安造形大学講師 橋本 鉄男氏