1994.11.1
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石州自作の竹寸切花生 |
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武辺(ぶへん)のわび
石州自作の竹寸切花生
(たけずんぎりはないけ)
おもしろくさきたる桜をながく折り
おほきなる瓶にさしたるこそおかしけれ平安文学の代表作『枕草子』のなかの一節です。人が野にある花の美しさを愛(め)で、これを折り取って身近に飾ることは、ずいぶん古くから行なわれていたでしょう。こうした、ごく自然なふるまいとは別に、中国からもたらされた仏教は、仏前に献ずる三具足(みつぐそく)や五具足飾りの1つとして供花(くげ)、つまり華瓶(けびょう)を置き花を飾りました。仏教のこのような習慣はひとり寺院にとどまらず、住まいの中にもしだいに取り込まれていきます。
こうして、住まいを飾ることになった華瓶は、一般に唐物と称された中国伝来の古(胡)銅や青磁が中心でしたが、やがて、これらを用いた花の立てかたに一定の方式が生まれ、しだいに技芸として整えられていきます。その先達となったのだ池坊家ですが、一方では、これまでとは流れを大きく異にし、形式をあまり定めず、花そのものの美しさを生かす流儀も生まれてきました。
前者の花の扱いを立花(りっか)、後者を投入(なげいれ)と称します。立花は、華瓶に花のある木を釘や針金などを用いて立てるもの。ハレの日の花として将軍家の座敷飾りをはじめ、書院造の建物に飾られることが多く、花木・華瓶ともにおしなべて大柄でした。これに対して投入は、『華道全書』によれば「山野沢池の花の出生を其(そ)のままそのなりになげているゝを投入の本意とする」もので、用いる容器も雑器が主体でした。
こうした投入の伝統が、やがて茶の湯の世界にわび茶が普及するとともに取り入れられて、茶の湯の花として文字どおり開花することになります。投入の伝統は、「花は野に在る如く」生けよと唱えた千利休(せんのりきゅう)の美意識に、いともみごとに適(かな)っていたのです。用いる容器の名称も、立花の華瓶に対して、花を投げ入れるところから、花入または花生と称されました。花生は茶室の床の間に置かれ、時に掛けられましたが、茶室がしだいに小間になるにつれて小型化し、その種類も唐物の古銅や青磁のほかに、和物陶器や竹・籠・瓢(ひさご)・漆器などを素材にしたものが加わりました。
中でも、わび茶の最たるものとして登場し広く用いられたのが竹花生です。竹花生は利休が天正18年(1590)に韮山(にらやま)の竹を用いて作ったとされる寸切(ずんぎり)(尺八)・一重切(いちじゅうぎり)(銘園城寺)・二重切(銘よなか)の三作をもって始まりとするのが通説です。ところが、ほかの利休自作の花入の中にも、それ以前に彼が制作したと考えられているものがあり、また、利休の師、武野紹鴎(たけのじょうおう)自作と伝える竹花生も何口かが伝存しています。この頃の茶会記をみますと、ちょうど天正18年頃から、利休のみならず堺や大坂の茶人の間で竹花生を用いはじめているようであり、おそらく紹鴎の時代に登場し、利休の頃に至って大いに茶会に用いられるようになったということでしょう。以後、竹花生は茶人の美意識を端的に表現しうる茶人自作の茶道具として、千家はもとより、古田織部(ふるたおりべ)・小堀遠州(こぼりえんしゅう)・片桐石州(かたぎりせきしゅう)といった武家茶道においても継承されることになります。
表紙の竹花生は、片桐石州自作のものです。石州は江戸時代前期の大和小泉の藩主。小堀遠州亡き後、4代将軍家綱の茶道師範を務めた人物で、大名には大名らしい、武士には武士らしいわびたる茶、つまり「武辺のわび」を標榜した茶人として知られ、その理念は、のちに石州流として武家社会を中心に広く支持されました。幕末の著名な茶人でもあった井伊直弼もまた、この石州流を学び、1派をなしています。石州自作の竹花生をつぶさに見ると、黒味を帯びた波紋のある枯淡な味わいの竹を花生の素材としている点では、いかにもわびを強く感じさせますが、1条の干割れに打たれた鎹(かすがい)や、底の周囲をすべて鉈ではつり落としているあたりは、武将茶人らしい力強さを意図したように思われます。「武辺のわび」が花生全体で表現された好作品と言えるでしょう。
(谷口 徹)
唐織りの美
−井伊家伝来能装束から−
期間 1994年11月26日(土)〜12月22日(木)
芸能の衣装は日常のそれとは異なり、珍しい高価な裂地を用いたり、舞台に映える奇抜なデザインをほどこしたものが少なくありません。能もまた、しかりです。ただ、格式を重んじる能では、「衣装」とはいわずに「装束」のことばで呼ばれています。能装束には、日本人の美意識が磨きあげてきた洗練された感覚をみることができます。
能装束にはさまざまの種類があり、役柄に応じて使い分けられます。その中から今回は「唐織(からおり)」を取り上げます。
唐織は、おもに女役の表着にもちいられる小袖形の装束。能装束のなかでももっとも優美で、絢爛豪華(けんらんごうか)な魅力にとむといえるでしょう「唐(から)」の名が示すように、本来は中国から輸入された綾(あや)織物や紋織物をさしましたが、やがて江戸時代には、その技術を学んで、日本でも織られるようになりました。
各種の色糸を絵緯(えぬき)で浮かし、美しい文様を織りあらわします。唐織の魅力は華やかな色彩と優美な文様にあります。色使いのなかに紅色を交えた紅入(いろいり)と紅色を交えない無紅(いろなし)の別があり、紅入は若い女役に、無紅は年長けた役柄に用います。
このテーマ展では、井伊家伝来の能装束のなかから唐織の美に注目し、その魅力を紹介します。
吉祥(きっしょう)のデザイン
−鶴−
期間 1995年1月1日(日)〜2月1日(水)
毎年恒例となりました吉祥のデザイン。今年は古来より瑞鳥(ずいちょう)として知られる鶴を井伊家伝来の美術工芸品の中から取り上げます。
新年の始め。展示室にはたくさんの鶴で埋め尽くされます。鶴づくしの展示に、寿(ことほ)ぎの気分をご満喫ください。
雛と雛道具
期間 1995年2月4日(土)〜3月6日(月)
雛道具・挾箱恒例の雛と雛道具展。今回も、彦根藩13代藩主井伊直弼(なおすけ)の二女弥千代(やちよ)が、高松藩世子(せいし)の松平頼聰(よりとし)のもとへ輿入れしたとき持参した雛道具85件を中心に、さまざまな雛や雛道具もあわせて展示します。華麗に飾られたミニチュアの世界に、春も間近い心はずむひとときをお過しください。
お多賀さまへは月まいり
11月23日(水)まで滋賀県犬上郡多賀町多賀に鎮座する多賀大社は、伊邪那岐(いざなぎ)大神と伊邪那美(いざなみ)大神をまつる古社です。
古来より、犬上郡一帯の人々の信仰をあつめてきた多賀大社は、室町時代には延命長寿の神として、その信仰は全国に広がり、
お伊勢参らばお多賀へ参れ、
お伊勢お多賀の子でござる
お伊勢七度、熊野へ三度、
お多賀様へは月参り
と歌われたように、広く人々の崇敬を受けてきました。湖東有数の古社にふさわしく、調馬(ちょうば)・厩馬(きゅうば)図屏風(重要文化財)をはじめ、豊臣秀吉や徳川家光奉納の太刀、72面もの多数にのぼる能狂言面などの数多くの優れた社宝が秘蔵されています。
この企画展は、多賀大社の全面的なご協力により、幅広い分野に及ぶこれらの名宝を一堂に会して、初めてその全貌を紹介しています。この機会にぜひご観覧ください。