彦根城博物館だより

Hikone Castle Museum News 68

2005.3.1


button 伝来が語る価値観 ―四季図―
button テーマ展「唐物―書院の茶の伝統―」より 鶴首茶入と遠州の箱書
button テーマ展「中村直彦の能面―没後六〇年ー」より 面心一如
button 三幅つくられた直弼の肖像 ―肖像画の服装―


 

伝来が語る価値観 ―四季図―

能装束・唐織

 春夏秋冬の画面に、中国の有名な故事をあらわした四幅対のうちの一幅。晋[しん]の謝安[しゃあん]が会稽[かいけい]の東山[とうざん]に隠棲し、山水を楽しむのに妓女[ぎじょ]を伴ったという「謝安東山」の様子を春の景として描いています。ほか三幅の画題は、夏の「周茂叔愛蓮[しゅうもしゅくあいれん]」、秋の「陶淵明帰去来[とうえんめいききょらい]」、冬の「子猷尋戴[しゆうじんたい]」。謹直な墨線に丁寧な賦彩がなされた、好感のもてる作品です。
 この四幅対は、寛永九年(一六三二年)、二代将軍徳川秀忠[とくがわひでただ]の遺品として、彦根藩二代藩主井伊直孝[いいなおたか]が拝領したものです。各幅に捺[お]された印から判断して、当時、室町幕府三代将軍足利義満[あしかがよしみつ]の所蔵品と考えられていたと思われます。
 納められた箱の蓋[ふた]には、遠州[えんしゅう]流の書体で「四季図 龍眠筆」と記されています。龍眠[りゅうみん](?〜一一〇六)とは、日本において「宋代中第一」と評された中国の画家で、足利将軍家の所蔵品の中に龍眠筆とされた水墨画が多く伝えられ、十六羅漢[らかん]図の多くが「李龍眠様[りりゅうみんよう]」として制作されるなど、高名な画家として認識されていました。
 現代では、本作品は明代前半、つまり十四ないし十五世紀の中国画と判断されています。拝領した時点では足利将軍家旧蔵の龍眠作品として伝来していたわけですから、徳川将軍家から絶大なる信頼を得ていた直孝が、極めて貴重な作品として下賜されたということでしょう。

(木文恵)

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テーマ展「唐物―書院の茶の伝統―」より
 鶴首茶入と遠州の箱書

写真1 石製猿面硯
唐物鶴首茶入

 茶の湯で用いられる道具の中に、「唐物[からもの]」と称される一群があります。唐物茶入、唐物茶碗、唐物花入など、多岐に渡る道具に「唐物」が存在し、今日の茶道においても格の高い道具として珍重されています。
 「唐物」の「唐」とは、中国も含めた、日本(「和[わ]」)の外の世界のこと。古来、「唐」からもたらされる文物は、「唐様[からよう]」「唐物」などと呼ばれて珍重され、日本の文化に大きな影響を与えてきました。
 室町時代の足利将軍家では、大量の「唐物」が蒐集[しゅうしゅう]され、座敷に飾られて将軍家の権威をあらわす役割も果たしました。江戸時代の大名家でも、「唐物」道具は珍重され、その中には茶道具の名品として今に伝わるものも少なくありません。
 写真は、井伊家伝来の唐物鶴首茶入[つるくびちゃいれ](当館蔵)です。鶴のように首がまっすぐに伸びる姿をしています。釉薬[ゆうやく]には鶉[うずら]の羽毛のような斑[まだら]模様があり、その上にかかる茶色の釉薬が畳付[たたみつき](底)あたりまで流れ下るさまが、この茶入の見どころとなっています。中国南宋[なんそう]〜元[げん]時代につくられ日本にもたらされたものと考えられます。
 この茶入には、二つの仕覆[しふく](萌葱地笹竜胆文金襴[もえぎじささりんどうもんきんらん]、縞牡丹文緞子[しまぼたんもんどんす])と象牙の蓋、蓋に摘みのついた挽家[ひきや]、間道[かんどう]の挽家袋が付属しています。茶入の箱の蓋表には、「鶴頸 前」と箱書きがあります。
 この箱書きは、筆様から、江戸時代初期の茶人・小堀遠州[こぼりえんしゅう]の筆といわれています。井伊直弼[いいなおすけ]が安政二年(一八五五)に開いた茶会[ちゃかい]の記録には「茶入 唐物鶴首 袋笹蔓緞子 遠州所持名物三器之内」(『東都水屋帳』)とあり、遠州ゆかりの茶入として考えられていたことがわかります。
 小堀遠州は、徳川秀忠[とくがわひでただ]・家光[いえみつ]に茶道師範として仕えた人物です。遠州の茶の湯は、千利休[せんのりきゅう]の創始した侘[わ]び茶を受け継ぎつつ、武家の権威と格式にふさわしい華麗さをあわせもった「きれいさび」と称されるものでした。遠州は、足利将軍家所蔵品として珍重されてきた「唐物」道具の他に、新たに中国渡りの「唐物」を自ら見いだし、銘を与え箱書をしたといいます。こうして遠州は、中興名物[ちゅうこうめいぶつ]という新たな価値判断を生み出しました。
 この茶入の背景には、「唐物」尊重の長い伝統と、小堀遠州という巨匠の生み出した新たな茶の湯の流れをうかがうことができます。
 茶入を支える文化の厚みを感じつつ、端正ですっきりとした姿を楽しんでいただきたいと思います。

(小井川 理)

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テーマ展「中村直彦の能面―没後六〇年―」より
 面心一如

「太刀 銘国宗(伯耆)」の地鉄(上)と「太刀 銘国宗(備前二代)」の地鉄(下) 部分
能面「狐蛇[きつねじゃ]」中村直彦作 昭和時代初期


 明治時代初期、急激な西欧化の風潮の中で、能楽は衰退を余儀なくされていました。
 やがて二十年代になると、伝統文化を見直す機運の高まりと共に、再び衆目を集めるようになります。ところがそこに、困った問題が生じました。それは、面打が一人もいなくなっていたという現実です。
 これを受けて能面の制作・修復に携わるようになったのが、東京美術学校で彫刻を学んだ中村直彦[なかむらなおひこ](一八七七〜一九四五)でした。明治四四年(一九一一)には、能面制作に専念できるよう後援会が作られ、井伊家十五代の直忠[なおただ](一八八三〜一九四七)も名誉賛成員として名を連ねています。
 本館には、直忠の注文に応え、直彦が大正末年から昭和初期に打った六十点余の面があります。これらを見ると、直彦は伝統的な能面の形を自己のものとしていたことがわかります。その基礎になったのは、修理を通じて得た古面に対する知見でした。
 彼が目指したのは、演者と面とが一体となって曲の心を生き生きと表現し得る面でした。それを彼は「能面は能楽の生命である」といい、「面体一如」「面心一如」と表現しています。能面は舞台に掛けられてこそ真価を発揮すると考えてのことです。
 しかし、だからといって、彼は古面の再現に終始していたわけではありません。創作的な面も打ち、また微妙なニュアンスのなかに、西欧の近代的な眼差しを感じさせる作品もあります。伝統を踏まえつつも、新たな時代の感覚がにじみ出ています。

(齋藤 望)

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三幅つくられた直弼の肖像
−肖像画の服装−

写真1 石製猿面硯
写真2 平目地雲竜蒔絵硯箱
衣冠姿の直弼像(天寧寺本 部分)
束帯姿の直弼像(清凉寺本 部分)


 安政七年(一八六〇)三月三日、ときの大老で彦根藩十三代藩主の井伊直弼[いいなおすけ]が、江戸の藩邸から江戸城に登城する途、桜田門外で暗殺されたことはあまりにも有名です。
 この年の正月、直弼は自らの死を予感し、藩の御用をつとめていた京の絵師の狩野永岳[かのうえいがく]に自分の肖像画を描かせたといわれています。実はこのとき、三幅の肖像画が制作されたことはあまり知られていません。
 現在のところ、江戸時代にまで遡る一次資料は確認できませんが、明治以降の資料には、直弼の肖像画は、清凉寺[せいりょうじ](彦根市)、豪徳寺[ごうとくじ](東京都世田谷区)、天寧寺[てんねいじ](彦根市)の三ヶ寺に納められたと記されています。清凉寺・豪徳寺ともに井伊家歴代の菩提寺[ぼだいじ]で、天寧寺も、井伊家ゆかりの寺院です。
 図版などでよく紹介される直弼像は、清凉寺伝来のもので、直弼直筆の和歌が書き込まれています。この清凉寺本と天寧寺本の直弼像とを比較すると、いくつか異なる点があることに気づかされます。
 清凉寺本にみる像は、垂纓[すいえい]の冠[かんむり]と袍[ほう]、表袴[うえのはかま]を身につけて裾[きょ]を垂らし、手には笏[しゃく]を持って太刀[たち]を佩[は]いています。一方、天寧寺本は、指袴[さしこ]姿で末広扇[すえひろおうぎ]を持っています。つまり、清凉寺本が、朝廷に出仕する際に着用する朝服[ちょうふく]の正装である「束帯[そくたい]姿」であるのに対し、天寧寺本は、朝服の略装の「衣冠[いかん]姿」で描かれているのです。
 同時に制作されたにもかかわらず、あえて異なる姿で描かれたのは、肖像画を納める寺の性格に起因するのではないでしょうか。
 天寧寺の直弼像の装束は、同寺に伝わる、十一代藩主で直弼の父にあたる井伊直中[なおなか]の肖像画のスタイルを踏襲しています。直中像も、やはり清凉寺本では束帯姿、天寧寺本は衣冠姿であらわされています。
 そもそも天寧寺は、初代藩主井伊直政[なおまさ]の生母の菩提寺として建立されましたが、直中は、寺地を移して規模を大幅に拡張し、その寺号までをも変えています。この経緯には、直中の私的な思惑が強く働いていたと伝えられており、直弼自身も、天寧寺は父の思いによって建立されたと述懐しています。清凉寺や豪徳寺のように、公的な性格の強い井伊家歴代菩提寺と比較し、天寧寺は、私的な性格の寺と捉えられていたのです。
 直中や直弼が正式な束帯姿ではなく略装の衣冠姿で描かれたのは、天寧寺というプライベートな寺院に納めるのに適した体裁という判断があったと考えられるのです。
 

(木文恵)

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