
2005.9.1
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美しく強く −黒漆塗松竹梅蒔絵茶弁当 |
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杜鵑 |
美しく強く
−黒漆塗〔くろうるしぬり〕松竹梅〔しょうちくばい〕蒔絵〔まきえ〕茶弁当〔ちゃべんとう〕
黒漆塗松竹梅蒔絵茶弁当
野に出て語らい、茶を楽しむ。そんな朗〔ほが〕らかな場面に用いられた調度が茶弁当です。屋台〔やたい〕に湯を沸かす釜〔かま〕・風炉〔ふろ〕と水入〔みずいれ〕を据〔す〕え、屋台の下部の抽斗〔ひきだし〕に茶道具一式をおさめます。屋台に担い棒を差し込んで固定し、外へ持ち出します。言うなればピクニック用のお茶道具セットです。
写真は、十三代藩主井伊直弼〔いいなおすけ〕の二女で、安政五年(一八五八)に高松藩世子〔せいし〕松平頼聡〔まつだいらよりとし〕のもとに嫁いだ弥千代〔やちよ〕の婚礼調度として調えられた茶弁当です。屋台は黒漆塗に松竹梅と葵〔あおい〕紋・橘〔たちばな〕紋の蒔絵を施し、抽斗〔ひきだし〕の中におさめられた茶道具は黒漆塗に橘紋を蒔絵しています。
「お姫様のお輿入〔こしい〕れ道具としてつくられたピクニック用のお茶道具セット」と言うと、いかにも雅やかな印象がありますが、屋台はずっしりと重量があり、角々に取り付けられた隅金具〔すみかなぐ〕は装飾とともに屋台の補強の役割も果たしています。釜・風炉と水入の下には、風炉の脚や水入の底にあわせてくぼみをつくった厚さ三センチほどの黒漆塗の板を敷き、金属の重さに耐える安定の良いつくりとなっています。
姫君のたおやかな一時〔ひととき〕を支えていたのは、美しくも堅牢な調度品でした。美と用と、両方を兼ね備えていることが大名調度の大名調度たる所以〔ゆえん〕と言えるでしょう。(小井川 理)
「近江八景から琵琶湖八景へ」より
近江をみるまなざし
伊吹山松尾寺八景詩(松尾寺蔵)
石山秋月〔いしやまのしゅうげつ〕・瀬田夕照〔せたのせきしょう〕・粟津晴嵐〔あわづのせいらん〕・矢橋帰帆〔やばせのきはん〕・三井晩鐘〔みいのばんしょう〕・唐崎夜雨〔からさきのやう〕・堅田落雁〔かただのらくがん〕・比良暮雪〔ひらのぼせつ〕で知られる「近江八景」。江戸時代には盛んに文学や美術の題材となり、人々に親しまれました。一方、昭和時代に入ると、新たに「琵琶湖八景」が制定されます。「琵琶湖八景」は、湖南に偏りがちであった「近江八景」と異なり、琵琶湖全体から八つの観光の地を選び出したものです。
このテーマ展では、「近江八景」から「琵琶湖八景」へ、琵琶湖とその周辺を見つめるまなざしの変遷を探っていきます。
展示の冒頭では、「近江八景」を題材とした画巻や浮世絵、工芸品をご覧いただきます。これらの作品が数多く制作されたことは、「近江八景」が広く親しまれる下地ともなりました。
「近江八景」が盛行をみた頃、全国各地でも、その土地その土地の景勝をまとめた「八景」が生まれます。「八景」だけでなく、禅宗寺院の「境致〔きょうち〕」に由来する「十境」などもありました。展示では、「彦根十境」「伊吹山松尾寺八景」など、彦根周辺に生まれた事例を紹介します。
江戸時代には、庶民の旅行ブームを背景に、旅行者の往還する街道〔かいどう〕周辺の景勝も注目されていきます。それらの景勝地は浮世絵や名所図会〔めいしょずえ〕などにあらわされました。「近江八景」だけでなく、湖水を隔てた場所や周辺の山々、街道沿いの名所までも描きだす作品からは、「琵琶湖八景」につながる視野の広がりをうかがうことができます。
人々が近江や琵琶湖の景勝をどのように見つめてきたのか、展示作品を通してご覧ください。(小井川 理)
「彦根の食文化」より
江戸時代の普段の食事
井伊直憲御膳帳
江戸時代の人々は、普段どんなものを食べていたのか?
興味あることですが、日常生活は記録に残されにくく、あまりわかっていません。そんな中、彦根藩の最後の藩主、井伊直憲〔いいなおのり〕の日々の献立を記した「御膳帳〔おぜんちょう〕」が伝存しており、その食生活を知ることができます。
直憲のある日の献立を見てみましょう。
文久三年(一八六三)十月七日朝
平皿(今出川豆腐・漉〔こ〕し薩摩芋)・汁(白玉・牛蒡〔ごぼう〕)
同日昼
長皿(味噌漬鯔〔ぼら〕)・汁(栗・卯の花)
同日夕
平皿(蒸兵主蕪〔ひょうずかぶ〕・葛・わさび)
いずれにもご飯と漬け物が加わります。魚は一日一回程度、 豆腐も毎日のよう御膳に上りました。この献立を見る限り、大名であっても、普段は「一汁一菜」の質素な食事だったといえるでしょう。
ただ、三食以外にいろいろなものを口にしています。祝儀などの席では家族や家臣を招いて食事を振る舞っており、また、亥〔い〕の子〔こ〕(十月初亥の日)には小豆餅〔あずきもち〕を食べるといった、季節ごとの風習もありました。それ以外にも、八〔や〕つ時(午後3時頃)の「おやつ」として、蕎麦〔そば〕や贈られた魚などをしばしば食べています。
いただき物の中には、親戚や交友のある大名から贈られた地域の特産品などがあります。彦根からもそのお返しに、鮒鮨〔ふなずし〕・松原海老〔まつばらえび〕・漬松茸〔つけまつたけ〕・鴨〔かも〕・醒井餅〔さめがいもち〕などを贈っていました。
地域の特産品や旬の食材を贈答したり、いただいた物を「おすそ分け」するのは、広く武士・庶民にも見られます。そのように考えると、日々の食事は質素でも、年間を通じると季節感あふれる多彩な食生活だったと言えるかもしれません。(野田浩子)
食欲の秋!!
「彦根の食文化」関連イベント
■大名の日常食を試食しよう
井伊直憲の「御膳帳」をもとに、大名の普段の食事を再現します。どうぞご試食ください。
日時 11月5日(土)午後1時30分から
会場 四番町スクエア(彦根市本町一丁目)
参加料 無料 当日直接会場にお越しください
共催 四番町スクエア協同組合
協力 滋賀の食事文化研究会 (株)四番町スクエア
■銘菓「益寿糖〔えきじゅとう〕」で抹茶を一服
彦根藩主も好み、贈答にも使われたお菓子「益寿糖」を、テーマ展期間中、博物館内のお茶席でご賞味いただけます。
期間 10月28日〜11月29日(テーマ展開催期間中)
料金 五〇〇円(薄茶・菓子)
*限定品につき品切れの際はご了承ください。
杜鵑〔ほととぎす〕
江戸時代の絵画や工芸品を見ていると、時として「これ何?」「どういう意味?」と言いたくなる図様があります。個々のモチーフは明らかでも、その組み合わせの意味するところがよくわからないことがあるのです。
図は篳篥〔ひちりき〕(雅楽で使う縦笛)を納める家(管箱)です。紫檀〔したん〕の素地〔きじ〕に金の蒔絵〔まきえ〕で、飛翔する小鳥、さらに小さな丸を線で繋いだ図が描かれています。要〔かなめ〕の金具は月。いったい何を意味しているのでしょうか。
まずは小鳥から。空を飛ぶところを地上から見上げた姿で、嘴〔くちばし〕を開いていることから、これは杜鵑(時鳥・郭公・不如帰などとも書く)と知られます。初夏の到来を告げる鳥とされ、春の鴬と並んで、その年最初の鳴き声を聞くことが待たれました。『千載和歌集〔せんざいわかしゅう〕』の源頼政〔みなもとのよりまさ〕の和歌に、
一声はさやかになきてほととぎす雲路〔くもじ〕はるかにとおざかるなり
とあるように、杜鵑は、一声だけ鳴いて、空高く飛び去ると観念されていたようです。
このイメージは、そのまま絵画や工芸のデザインにあらわされ、ここに見るような決まった形となっていたのでした。
次に月は、向かって右側が欠けていることから下弦〔かげん〕を過ぎた明け方の東の空に掛かる月であることがわかります。
郭公〔ほととぎす〕なきつるかたをながむればただ有明〔ありあ〕けの月ぞのこれる
『千載和歌集』藤原実定〔ふじわらのさねただ〕
杜鵑には、その初音を待ちわびた夜明け間近の月が組み合わされる必要がありました。
それでは金色の小丸は何なのでしょうか。八つあることからすれば、これは北斗の七星と輔星をあらわします。
江戸時代の図説百科事典『和漢三才図会〔わかんさんさいずえ〕』の杜鵑の項に、
春の暮すなわち鳴く、夜啼〔な〕いて旦〔たん〕に達し、鳴くこと必ず北に向かう、夏に至りて尤も甚だし、昼夜止〔や〕まず
とあります。杜鵑は春の終わり頃には夜から朝にかけて鳴き、北に向かうと考えられていたのです。南方からやって来て夏を日本で過ごす夏鳥ですから、北に向かうというのは理に適っています。あたかもこの頃、北斗七星は夜半前に南中し、明け方には北西の空にあります。
図様の意味するところは、杜鵑の初音を心待ちにしている人々のはるか頭上を、北斗七星が静かに回転し、暁近くに北に向かうその声を聞いたという訳です。
篳篥という楽器の箱ですから、その笛の音を待ちこがれるという意味が籠められているのでしょう。
いちおう、三つのモチーフを繋ぐ筋をこう考えてみたものの、まだどこか腑に落ちない思いがあります。もっと明快にこの図柄を読み解くキーワードがあるかもしれないと感ずるのですが、皆さんに明解はおありでしょうか。(齋藤 望)