彦根城博物館だより

Hikone Castle Museum News 79

2007.12.1


button テーマ展多賀大社の名宝
button テーマ展雛と雛道具
button テーマ展桜の美
button 研究余録 金亀玉鶴
button 国宝・彦根屏風−屏風復活へのみちのり(7)
button 彦根城博物館ニュース

テーマ展

多賀大社の名宝
平成20年(2008年)1月1日(火・祝) 〜 2月5日(火) 
展示室1・2

 

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調馬・厩馬図屏風(多賀大社蔵)

 「延命長寿〔えんめいちょうじゅ〕の神様」として篤い信仰が寄せられてきた、犬上郡多賀町〔いぬかみぐんたがちょう〕にある多賀大社〔たがたいしゃ〕。「お多賀さん」の俗称で知られる当社は、古来より犬上郡一帯の人々の信仰を集めてきました。室町時代以降は、坊人〔ぼうにん〕(修験者)の活躍により、その信仰は全国へと広がりをみせます。「お多賀さまへは月参〔つきまい〕り」と謡〔うた〕われるように、多くの人々が盛んに参詣した境内の賑わいは、今日も変わることがありません。
  本展では、多賀大社が所蔵する選りすぐりの名宝を紹介します。中世以来の古文書、「調馬・厩馬図屏風」(重要文化財)や「三十六歌仙絵屏風」などの絵画、能面・狂言面、秀吉が奉納したと伝える太刀をはじめとする刀剣等、多彩な分野にわたる美術工芸品の数々をお楽しみください。
 
●ギャラリートーク  平成20年1月12日(土) 午後2時〜 学芸員 坪内 広子

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テーマ展
雛と雛道具
平成20年(2008年)2月8日(金) 〜3月11日(火) 
展示室1

 

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 彦根藩13代藩主井伊直弼の二女・弥千代〔やちよ〕の婚礼に合わせて調えられた雛道具を中心に、寄贈・寄託の雛飾りを揃えて、早春を彩ります。小さくゆかしい雛の調度の数々に娘の無事な成長を願う親心がうかがえる、ほっこりあたたかな展覧会です。
 
●ギャラリートーク  平成20年2月9日(土) 午後2時〜 学芸員 小井川 理

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テーマ展
桜の美
平成20年(2008年) 3月14日(金) 〜 4月15日(火) 
展示室1

 

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 春を象徴する桜は、美術の絶好のモチーフでした。日本美術のそこかしこに桜の美が咲き誇っています。このテーマ展では、(1)桜を愛〔め〕でる人々……文学作品や、桜の虜になった人々、(2)桜花爛漫〔おうからんまん〕……能装束にあらわされた華やかな桜、(3)ここにも桜……工芸品を飾る可憐な桜や、桜へのこだわりと奥深さ、の3テーマで、井伊家伝来品を中心に、能装束や漆工芸品など19件を紹介します。
 
●ギャラリートーク  平成20年3月15日(土) 午後2時〜 学芸員 齋藤 望

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研究余録 金亀玉鶴
白絵の調度

 

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鉄漿筆箱(内箱)
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内箱蓋表

 江戸時代の大名やお姫様が使った「調度」というと、漆塗りに蒔絵の施された華麗な大名道具を思い浮かべる方も多いと思います。しかし、大名家に伝来した調度の中には、華麗な蒔絵の調度とは異なる、当時の人々の習俗や信仰をうかがわせる調度も含まれています。
 写真は、彦根藩主井伊家に伝わった調度(本館蔵)で、白木の内箱と外箱に四つ足の台が付属し、箱の中には、畳紙〔たとうがみ〕に鳥の羽で作られた刷毛〔はけ〕が納められていました。この刷毛は、お歯黒〔はぐろ〕をする時に用いる「鉄漿筆〔かねふで〕」です。
 江戸時代には、成人した女性が「鉄漿」、つまりお歯黒で歯を黒く染める風習があり、大名家では13歳に達した女子の成長儀礼として「鉄漿始〔かねはじめ〕」という儀式を行うならわしもありました。鉄漿始では、親類縁者の中から選ばれた「鉄漿親〔かねおや〕」の女性から鉄漿筆が贈られました。その女性が鉄漿付けの介添えをする場合もあり、将来に渡る後見をたのむ意味がありました。
 箱に付属している書付によると、この調度は、元治元年(1864)、のちに彦根藩14代藩主井伊直憲(1848〜1902)の正室として有栖川宮〔ありすがわのみや〕家から輿〔こし〕入れする、宮宜子〔もりのみやよしこ〕(1851〜1895)の鉄漿始の折に調えられた「鉄漿筆箱」であることが分かります。嘉永4年(1851)生まれの宜子は14歳で鉄漿始を迎えますが、この時、鉄漿親となったのは、叔母で12代将軍徳川家慶〔いえよし〕の養女となった精〔あき〕姫でした。
 宜子の鉄漿筆箱は、外箱には青の盛り上げ彩色で徳川家の家紋である葵紋を施し、内箱には、白で松竹鶴亀と葵紋を描いています。内箱の図柄は、白を盛り上げて彩色した上から銀色の絵の具を重ねて輪郭線や陰影を表します。漆塗りなどの仕上げを施さず、白木のままの地に、白一色の松竹鶴亀を描く内箱は、清らかな印象を与えます。こうした白絵の調度が、宜子の無事な成長を見守る儀式の場に調えられたのでした。
 近年、江戸時代の婚礼や出産、成長に伴う儀礼の場で、しばしば、白一色で松竹鶴亀の図柄を描いた調度が用いられていたことがわかってきました。
 尾張藩14代藩主徳川慶勝〔よしかつ〕(1824〜83)に嫁した丹羽長富の娘矩〔かね〕姫(1831〜1902)が持参したと考えられている守袋箱〔まもりぶくろはこ〕は、白木に白の絵の具で松竹鶴亀を描き、守袋には白地緞子〔どんす〕が用いられていました(愛知・徳川美術館蔵)。東京都港区の瑞聖寺内、仙台藩4代藩主伊達綱村〔つなむら〕(1659〜1719)の長男扇千代(1681〜85)の墓所から発見された、扇千代誕生時のものと考えられる胞衣桶〔えなおけ〕(胎児を包む胎盤〔たいばん〕を収める容器、港区立港郷土資料館蔵)は、銀や胡粉で松竹鶴亀を描いた木製桶を、同じく松竹鶴亀を線刻した銅製外容器に納めたものでした。桶内からは、扇千代の母である稲葉正則の娘仙〔せん〕姫(1659〜1706)のものと考えられる胎盤組織や、胎児の臍〔へそ〕の緒〔お〕を切るための竹篦〔へら〕も発見され、江戸時代の出産と胞衣納めの習俗を伝える貴重な資料ともなっています。
 また、最近では、白一色で松竹と鶴亀を描く白絵屏風(京都府立総合資料館ほか蔵)が注目を浴びています。この屏風は、出産の場を清浄に保つ目的で、産所に立て回されたと考えられています。その伝統は古く、平安時代、出産の際に新調され産所に立てられた調度、白綾〔しろあや〕屏風にまで遡ります。白綾を貼った屏風はやがて、白一色で松竹鶴亀を描く白絵屏風へと変わっていきますが、白という色の持つ力への期待は脈々と受け継がれてきたのです。
 現代のような医療技術が望めず、子どもの無事な成長が切実な願いであった江戸時代。成長儀礼の折々に現れる白絵の調度には、白一色の調度を用いることで、子どもに寄りつく穢〔けが〕れを払い、清浄な空間を作り上げようとする思いが込められていたのでしょう。宜子の鉄漿筆箱にも、女性の成長の節目に健やかな将来を願う親心がうかがえます。
 これら白絵の調度は、穢れを嫌い清浄性を保つ意味から、一度使用された後は再びの使用を避け、中には破棄されたものもありました。宜子の鉄漿筆箱や矩姫の守袋箱は、その後も所縁の調度として残されましたが、扇千代の胞衣桶は胞衣を納めて土中に埋めることを念頭に調えられたものですし、白絵屏風も産後7日を過ぎると取り払われたと言います。ただ一度の使用のために調えられ、破棄されるあり方は、室礼として半ば恒常的に室内空間を飾るものとは異なる調度のあり方を示してもいます。
 宜子は、明治2年(1869)2月、19歳で直憲のもとに輿入れしました。宜子の成長を見守った鉄漿筆箱は、彼女とともに井伊家に移り、江戸時代の人々の祈りを今に伝えています。

(小井川 理)

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国宝・彦根屏風−屏風復活へのみちのり(7)
表装〔ひょうそう〕

 

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 彦根屏風は、100年以上前に屏風の形を解かれ、1枚1枚が別々の状態で保管されてきました。言い換えれば、屏風の表装がない状態が長く続いていたのです。
 修理にあたっては通常、傷みの少ない表装は再利用し、使用に耐えない表装でも、それを参考に新たに制作するのですが、彦根屏風の場合、一から考える必要がありました。
 これが難問でした。表装は、画の印象を左右する重要な役割を果たすものです。参考にするべきものがないため、文様や色、またその組み合わせを、パソコンの画面上で、あるいは実際にサンプルを作って慎重に検討しました。
 その結果、画面を縁取る縁裂〔ふちぎれ〕は、幅の広い大縁〔おおべり〕は紫地に金糸〔きんし〕で鳳凰文〔ほうおうもん〕を配したもの、細い小縁〔こべり〕は、白茶地に蓮池の鳥魚を金糸であらわしたものとしました。周囲を囲む襲木〔おそいぎ〕は、飴〔あめ〕色を帯びた溜塗〔ためぬ〕りです。以前のパネル仕立てより、自然で明るい印象となりました。
 そして、飾り金具および裏面に貼る唐紙〔からかみ〕には、彦根屏風を所蔵していた彦根藩主井伊家の家紋である橘のデザインを採り入れました。
 彦根屏風修理完成後初の展示では、表装に注目される方はほとんどいらっしゃらなかったようです。このことは、表装が画の鑑賞を妨げていないとも受け取れますので、一安心です。

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彦根城博物館ニュース


開館20年目の節目の年に
開館以来の入館者が200万人を突破しました

 昭和62年(1987)2月11日、彦根市制施行50周年記念日に開館した彦根城博物館。
 今年は、開館20周年であるとともに、国宝・彦根城築城400年祭というビッグイベントも行われた大きな節目の年でした。その平成19年(2007)5月19日に、開館以来200万人目を数えるお客様をお迎えすることができました。
 これまでの歩みを振り返ると、平成3年(1991)3月20日に来館者50万人目を、平成8年(1996)5月31日に100万人目を、平成14年(2002)9月23日に150万人目をお迎えしています。
 200万人目となられた千葉県からお越しのご夫妻には、彦根屏風のミニチュアなどの記念品が当館館長から贈られました。また、200万人目から先着100名の皆さまには当館オリジナルグッズを贈呈しました。記念式典には、全国規模の人気を誇る国宝・彦根城築城400年祭キャラクター「ひこにゃん」も駆けつけ、展示室入り口のくす玉が割られると、館内は祝賀ムードに包まれました。
 開館以来20年間に、200万人を超える方々にご来館いただき、職員一同心から感謝しております。今後も、多くの皆さまに、何度でも繰り返し足を運んでいただける博物館を目指して努力してまいりますので、ご支援願います。

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右から当館館長、200万人目のお客様ご夫妻、後列は「ひこにゃん」


教育普及活動のひとこま 小学生向け解説書

 当館は、彦根市立の博物館として、市内の子どもたちに地域の歴史や文化を伝える役割も担っています。
 近年、小中学生が総合学習で当館を利用する機会が大幅に増えてきました。そこで、小学生向け解説書の充実に取り組み、従来の展示案内解説書をより親しみやすいものに改訂し、新しいテーマの解説書も作成しました。これらは、彦根市内の全小中学校の学級文庫に常備することによって学習の副教材として利用され、当館に来館した市内の小学生に配布することで、より展示を楽しんでいただくなど、色々な形で活用されています。
 これら解説書は、易しい表現を用いながらも凝縮された内容であるという評価をいただき、作成当初より一般の方々から入手希望の声が多く寄せられていました。それにお応えして、当館のミュージアムショップでの販売を始めることにしました。
 現在、彦根藩の藩庁であり藩主の住居であった彦根城表御殿の建物の様子や役割について解説した『たんけん!! 彦根城表御殿』と、幕末の大老として開国の決断をした彦根藩13代藩主井伊直弼の生涯や事績について解説した『井伊直弼ってどんな人?』を各200円でお求めいただけます。

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