太鼓門櫓 |
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| 石垣に地層の路頭 | ||
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この石垣に大きな地層の路頭が見える。しかも地層の摺(しゅう)曲=しわ=が見え、断層の割れ目も見えている。この岩石は古生層のチャートである。三億四、五千万年も昔、この辺り一帯が海であったころ、海底に堆(たい)積してできた地層が、その後の地殻の変動で、ここにこうして見えているのである。 本丸への最後の関門は、太鼓門である。 いつ創建されたかは定かでないが、天守完成のころ、つまり慶長年間(1596〜1615年)の後期だとされている。 太鼓門の南側に続櫓が連なっている。太鼓門櫓の特徴は、東側は壁でなく開かれていて、柱の間に高欄をつけ廊下にしていることである。余り例のないことであるが、太鼓の音を響かせるために考えられたのではないかとする説がある。 この櫓は、築城前にこの山にあった寺の門と言い伝えられてきた。それは門柱に残るくぎ穴が観音霊場の納礼を寺の建物に打ちつけるならわしが古くからあったので、そのくぎ跡だとして、このように考えられていた。 しかし、昭和の解体修理の時、特定はできないが、どこかの城から移築された門であること、移築のと規模を縮小してここに建て、くぐり戸も向かって右側から左側に移したことなどがわかった、と報告書に書かれている。 (郷土史家・谷澤 實) |