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   雲仙山から流れ出た芹川は、現在、多賀町の支流を集めて湖東平野の北部を西流し、彦根市街の南側からまっすぐ琵琶湖に注いでいます。
 芹川は彦根市の南部を流れる宇曽川や犬上川に比べ水量もそれほど多くありませんが、古代から周辺の人々にとっては貴重な水資源でした。


《芹川周辺の条里》

 日本に稲作が伝えられたのは、今から約2300年前、縄文時代の終末期のことです。稲作は、狩りを中心としたそれまでの人々の暮らしを大きく変化させ、大陸から朝鮮半島を経て九州北部に伝わった稲作技術は、急速に西日本に広まっていきました。湖東地方にも弥生時代には稲作が行われたことが肥田西遺跡や矢倉川遺跡などの遺跡の出土品から分かります。
 稲作は、その後日本の国づくりの基本とされ、古代国家は7世紀には全国に水田耕地を区画する条里制を行いました。芹川流域にも条里の跡が見られ、芹川の水を利用した稲作が行われていたようです。現在の市街地にも、おそらくこのような条里があったことでしょう。当時、この地域は犬上郡に属していたので、下の図のように、坂田郡に属した現在の鳥居本付近とは条里の方向が異なっていることにも注意しておきたいことです。

  芹川周辺の条里地割(写真をクリックすると拡大表示されます)

芹川周辺の条里地割
(写真をクリックすると拡大表示されます)



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芹川の観察ガイド