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   『彦根古図』のなかには、「長曽根庄」「後三条料」などの名称が見られますが、これらは奈良時代後期から成立してきた荘園(荘園は古代の律令制による、公地公民制が崩れ、田地を私有化していったもので、そのほとんどは、中央の貴族や寺社が領主となっていました。)と呼ばれる田地のことです。このほか、鎌倉時代や室町時代の古い文書には、犬上荘・安養寺荘・世理荘・沼波荘など芹川周辺の地名のついた荘園が多く見られます。芹川の名も、おそらく「世理荘」の名をとって呼ばれたのでしょう。また、芹の字は、鎌倉・室町時代では世理・世利・善理・善利などが用いられ、芹の字を使うようになったのは江戸時代になってからのことと考えられます。世理荘は、平安時代末、鳥羽上皇が京都広隆寺へ寄進した荘園と伝えられ、鎌倉・室町時代を通じて広隆寺が領主となっており、荘園からは、毎年、税としての作物や貢物が東山道や湖上交通を利用して京都へ送られ、また領主との連絡がとられていました。

  彦根古図略図(写真をクリックすると拡大表示されます)

彦根古図略図
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彦根市周辺の荘園(写真をクリックすると拡大表示されます)

彦根市周辺の荘園
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  後宇多院院宣(広隆寺所蔵)

後宇多院院宣(広隆寺所蔵)
(解説)
 この古文書は、正安4年(1302)に、広隆寺の修理・復興などのため、近江国世理荘の領有を当時の上皇(後宇多院)が保証したことを伝えています。



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芹川の観察ガイド