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   芹川の付け替えにより始められた城下町建設は順調にすすみ、慶長11年(1606)には本丸天守が完成、周辺の武家屋敷や町屋の町割りもすすみ、外堀と芹川北岸との間、中藪の地には足軽の組屋敷が配置され、中藪組(現在の栄町)と呼ばれました。また大坂の陣の戦功により、慶長20年、元和3年(1617)に5万石ずつの加増があり、元和3年に新たに足軽を増やし、河原町裏手(現在の芹橋2丁目)に組屋敷(善利組)が置かれました。さらに寛永6年(1629)にも大雲寺付近の芹川北岸に組屋敷(大雲寺組)を置いています。
 こうして出来た足軽組屋敷は、ちょうど外堀と芹川北岸との間を埋めつくすように配備され、まさに城下町の外縁を守る目約で造られたといえるでしょう。

  天保7年(1836)に作られた「御城下惣絵図」6幅の合成(写真をクリックすると拡大表示されます)

天保7年(1836)に作られた「御城下惣絵図」6幅の合成
(写真をクリックすると拡大表示されます)



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芹川の観察ガイド