城下町のなりたち

彦根藩の城下町プロジェクト

 彦根の城下町の建設は、今から約400年前、彦根城の築城と同時に進められました。築城前は、沼や沢が多く、葦〔よし〕や薮が広がっていた彦根山一帯を城下とするため、土地を平らにし、水池を埋めました。
 芹川はもともと現在の河原三丁目付近より中央町の長松院あたりで折れて、現在は干拓されてなくなった松原内湖へと注いでいました。それを城下町建設のために城下の西を直流、琵琶湖へ直接導きました。
城下町の区割り

城下町の構成は4つの区割りで進められました。

【第一郭】 天守や表御殿を中心とした城郭。 

【第二郭】 内濠と中濠の間で、家老はじめ禄高〔ろくだか〕の高い武士の居住地。 

【第三郭】 武家屋敷と町家から成っていて、内側に武家、中部に町人、さらにその外側に武家の屋敷がありました。 

【第四郭】 外濠の外側、いわゆる外町に町人の居住区をおき、これをへだてて足軽衆の組屋敷をもっとも外側におき、外町の町人町をとり囲んでいました。

足軽組屋敷は、このようにお城と城下町を守る形で配置されていたのです。
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