彦根藩足軽善利組の屋敷地は、城下の南部、外濠(現在の昭和新道)と芹川とに挟まれた地区にあります。天保7年(1836)の「御城下惣絵図」によれば約七百戸を数え、城下の足軽組屋敷のうちで最も戸数の多い地区でした。現在、江戸時代の建物は一割程度に過ぎなくなっていますが、彦根市では、平成8年度から、現存する建物について調査を行っています。
彦根藩の足軽組屋敷の特徴は、規模が小さくとも、武家屋敷の体裁
〔ていさい〕
をとった構成で、前面に木戸門と目板瓦葺
〔めいたかわらぶ〕
きの塀を構え、主屋の入口が直接道路に接することがないようになっていました。
ほとんどの屋敷地は南北方向の16の通りの両側にあって、間口5間(約9m)、奥行き10間(約18m)の短冊型を標準として区画されています。主屋は切妻造、桟瓦葺ですが、配置の仕方には、大きく分けて次の2つの型があります。